DC色々体験記 2002年12月 カンクン・ハバナ旅行記 【ハバナ編】(後編) 12月29日 午前レッスン。今回は彼の無愛想な姉が所用のため、近所の女性(彼曰く「キューバの女性は誰でも踊れる」)を連れてきていたが、この女性がリズムが下手で困った。レッスンは段々と複雑なモノになっていって、これって実際使えるのかしらん、思うモノも多かったが、幸い運動量も多くなく、なかなか楽しいものであった。といって2時間は集中力が持たないので1時間がいいかも。彼のリードは柔らかくて素晴らしいらしい。 午後。観光(モロ要塞)モロ 夜Dと中国人のいない中華街で食事。中国よりも貧乏な国には中国人はいない模様。思いっきり地元の顔の女性がチャイナドレスを着ていて面白い。食事後カサデラムシカ(ハバナビエハ)のチャランガハバネーラのライブへ行くも満員で入れず。仕方なく、ミラマール地区へ。ライブはトゥンバオハバナというモダンなグループ。結構かっこいい。ミラマールも入るのには苦労したが、入ってみると、それほど混んでいない。テーブルは全て埋まっていて、立ち見の客もままいるが。どうやら一定人数(ぎゅうぎゅうでない程度)を超えると入場制限をする(帰った客の分だけまた入れる)という仕組みかも。一人15ドル(だったか?)。 帰りにカサデラムシカの従業員にタクシーを頼むと「10ドル」。メーターを使って行きは6ドルできたことを告げても、「今は夜遅い」とか「俺はここのタクシーマネージャーだ。俺の言うことが信じられないのか!」とかいう。無視して白タクを8ドルで捕まえたが、スペイン語の分かる友人によれば、我々の去り際に「あいつらは金持ちだから」と同僚にスペイン語で話していたらしい。殺意が芽生える。たかが4ドルの話しであり、きちんとしたサービスが受けられればチップとしてやっても惜しくない金額なのだが。 12月30日 日中観光。革命広場。ヘミングウェイの家。革命博物館。 ヘミングウェイの家は、意外にこじんまりしていることと、長方形の素朴な作り 夜友人が偶然見つけたコンパイセグンドのライブ。94歳だと。前8列目。ナショナルホテルでの1時間ほどのライブ。35ドル。年輪を帯びた深い歌声にキューバに来て良かったとしみじみ思う。
12月31日
夜のトロピカーナは大晦日特別料金でなんと250ドル。諦める。その他のイベント(ナショナルホテルのショーも220ドル)、カセドラル前の特設ステージのイベントも100ドル超とどこかの国のクリスマスディナーショーを真似たのか。この国の将来が心配になる。 夜熱を出しちょっと寝込むも2時間ほど寝て見事回復。ハバナの街の空気が悪いためか。年越しの大騒ぎ(2階からの道路への水掛け)を見物。 1月1日 家主Dの友人の友人の車で空港へ。Dに送迎してくれる人を頼むとき、20ドルまで出すといったのがちゃんと伝わっていて、しっかり20ドル請求された。失敗したのは、調べなかった自分が悪いけど、第3ターミナルに行くべきところ、第2にいってしまったこと。朝っぱらから約2キロ歩くハメに。第3ターミナルは新しく、それまでのキューバの雰囲気は全くない。離キューバの感傷気分を薄れさせてくれる。カンクン行きの飛行機の窓の外に初日の出を見つつ、1時間のフライト。乗り継ぎのカンクンの5時間待ちはさほどつらくなかったが、ヒュースントンで、入国審査が長蛇の列。VISAを持っていてももう一度白い用紙に記入が必要とは知らなかった。海外から帰ったときの乗り継ぎには要注意。 夜にダラスに着いたのが9時。1日がかり(正味16時間)の帰還。9日間の休暇もあっという間に終わった。 次の冬はジャマイカ経由でハバナ行きかな。 |