DC色々体験記

2003年2月【3泊4日テネシー州旅行

 

1月15日(土)

15日からDCは雪の予報。朝はそれほどでもなく、IADも飛行機は次々に順調に離陸していたが、自分が乗るはずの9時発予定のUA機だけは30分遅れを繰り返し、1時間半後に「キャンセル」。2時発シンシナティ経由のDELTAに否応なく振替られたのに、わずか7ドルの食券をもらって思わず”THANK YOU”と言った自分が情けない。

午後4時半にようやくナッシュビル着。東海岸は歴史的な大雪であったが、テネシーは大雨。着いたのが遅く1日目の予定(美術館など観光地巡り)は全く消化できず。夜、ナシュビルの大通りのBARをはしご。どの店もライブでカントリーミュージックが楽しめる。特にチャージは無し。土曜夜なので、どこも盛況であるが、ひとつふと気づいたのは店員、客、バンド全て白人であること。マイノリティは唯一自分のみ(白い目で見られるなんて事はなかったけど)!!!カントリーとは、「白人の白人による白人のための音楽」なのかとふと思う。この音楽に未来はあるのだろうか、とも感じた。

 

16日(日)

ナッシュビルから車で3時間、雨の高速を飛ばし、オークリッジへ。ここはマンハッタン計画のもと、原爆を開発していた街で、第2次大戦中は7万5千人が居住し働いていたのに地図には載っていなかったという都市。広島に投下された原爆のプルトニウムはここで抽出されたとか。現在は人口2万5千。科学博物館では、当時の街の様子が説明されている。広島原爆投下を伝える新聞のコピー。広島に投下された「リトルボーイ」のレプリカ。原爆による「被害」にはほとんど触れていない。勝者の歴史。

4時にノックスビルへ。1時間で美術館を見学、と思っていたら、ナッシュビルとの間には時差があって、既にノックスビルは5時を迎え、美術館は閉館していた。仕方なく6時まで空いていた「女性バスケットボールの殿堂」を見学。30分しかないけどいいの?という係員は、入場料を3ドルに負けてくれた。しかし全く興味がない。昔のユニフォームの展示はいいけど、何故マネキンが男なのだ。

ノックスビルは小さい町。寂れた様子にヴァージニアのリッチモンドを思い出した。また今回は、大恐慌を抜け出す原動力となったとも言われるTVA(及びダム)を見学したかったのだが、時間の都合で断念。山間を走る高速を運転していて、この辺りはダムを造りたくなるような地形だと妙に納得した。

 

17日(月)大統領記念日で祝日

 朝6時半に出て、チャタヌーガへ。山を切り開いた高速を走ること2時間。「自然が美しい」と聞いていたが、単なる寂れた小さい町であった。街から20分ほど走った山あいの洞窟に行くも、先日からの雨で洞窟内の水量が増しているためツアー中止と聞いて悲嘆に暮れる。気を取り直して、Rock Cityへ。途中、南北戦争の戦場跡などを見つつ、15分ほど走って到着。アパラチア山系の山を利用して、1932年に個人が作った観光公園であるが、岩をくぐり抜けるように園内を散策するコースが意外に楽しい。切り立った崖からの景色(7州が見えるとのこと)もなかなか。

続いてチャタヌーガチューチューへ。昔の駅の跡地で、同名の有名な曲があるようだが、なぜ「チューチュー」なのかすらよく分からない。とりあえず行ってみて写真だけ撮ってみる自分は観光客の典型。

その後すぐに再び高速でナッシュビルへ2時間弱。まずはフリストアートセンター。共和党上院トップのフリスト上院議員一家(議員と父、兄)が出資した財団が運営する美術館。病院経営で荒稼ぎしたお金がふんだんにあるのか、建物は新しく美しい。特別展示は米国黒人写真家の歴史。黒人差別発言で辞任に追い込まれた前任者(ロット上院議員)を意識しているのか等、政治的な臭いをかぎ取るのはちょっと勘ぐり過ぎか。しかし、作品は素晴らしくよい。数々の写真が米国黒人の苦しみ、怒り、そして生命力を如実に描写している。50ドルのガイドブックを買おうか悩んだ(結局買わなかった)。

その後有名なプランテーションであるベルミードへ。1時間弱のガイド付きツアー。1800年初頭より競走馬の飼育等で有名であったこのプランテーション。オーナーは南北戦争時に南軍を当初支援していたが、北軍が進行して捕虜になるやすぐさま転向して北軍を応援(というより金を積んだらしい)、おかげで「風と共に去りぬ」とは違い戦争でプランテーションが荒れることなく済んだ、また、黒人奴隷もpaid workerとして引き続き働いていたとのこと。屋敷は19世紀の豪邸。美術品等が並んでいる。リッチモンドのホワイトハウスが彷彿とされた。砂糖が貴重で奴隷に扱わせないように鍵付きの家具に収納し、いちいち主人が取り出していたというのは面白かった。

夜はドライブの疲れもありカントリーのライブにも行かずに就寝。

 

18日(火)

 朝から州議事堂、パルテノン神殿(の実物大レプリカ)、カントリーミュージックオブフェイム、州博物館とナッシュビル観光三昧。

テネシー州議事堂は、1階の暗い作りと2階の明るい本会議場が対照的。また、建物は左右対称であるが、定数の少なく小さい上院の議場と、下院の大きなそれは、左右対称の配置とはなっていないところが印象的。テネシー出身の大統領、アンドリュージャクソンの銅像が至る所にあった。金属探知器のチェックだけで、中を自由に歩き回れるのは良い。

パルテノン神殿は、19世紀末の万博で建てた実物大レプリカを修復、再建しつつ観光のシンボルとして維持しているもの。実際に見てみると、なるほど完璧な姿だと、こんな感じになるのか、、、と当時のギリシャ人になったかのような気持ちになったような気がした。入場料を払ってはいると中は地下が美術館。といっても19世紀末の印象派・・・の絵を20世紀に入ってから真似したような類のアメリカ美術。センス悪い。

階を上がっていよいよ神殿の内部に。そこに待っていたのは、グロテスクな巨大な立像。What's this?と驚くも、実際のパルテノン神殿内部のものを忠実に再現したモノ、、、、と聞いてさらに驚いた。勝手に頭の中にあった「廃墟の美」といった類の自分の思いこみが崩れていった。金閣寺も平等院鳳凰堂も創建当時は文字通りの「極彩色」だったという。「モノクロの過去」は現代人の勝手な思いこみなのだ。

カントリーミュージックオブフェイムはホールに入っただけでなんかもういいや、という気がしてすぐに退場。ちなみに今回はオープリーランド(巨大なカントリーミュージックのイベント会場)にも行かなかった。

州博物館は改装中で、ワンフロアのみの展示。内容はほとんど南北戦争。テネシーは、ヴァージニアと並んで南北戦争の激戦地であったとのこと。

 

6時発の飛行機は1時間半遅れで出発し、9時半にダレスへ無事到着。ダレスも日・月曜は完全封鎖であったらしい。今回は40センチは積もったという東海岸の大雪を避けることのできたという点でも有意義な4日間の旅行であった、、、と思っていたら、空港に停めてあった愛車は雪に埋もれていた。その後1時間雪かきをすることに。まあ、そんなに全てはうまくいかないか。

 

 ひょっとすると人生最初で最後のナッシュビル、ノックスビル。この街の印象は自分の記憶の中に、どのような形で残るのだろうか、と思いつつ旅を終えた。(おわり)