DC色々体験記
2003年3月2回目のNY旅行
3月某日〜NYへ2泊3日(DCへ来てから7回目、今年3回目)。
3連休はDCを離れるとはいったものの、戦時下、テロの危険もささやかれる中に旅行などしていいものだろうかと思いつつ、テロに屈しない姿勢も大事だ、行っちゃえということで。
今回の旅行のテーマは最近読んだ亀井俊介著、岩波新書「ニューヨーク」。
1日目はNYの先輩とやたら灰汁の出るしゃぶしゃぶを堪能。
2日目は朝からフルトン市場でブルックリンブリッジを眺めてから、美術館巡り。
グッゲンハイム美術館はMatthew
Barney展。例の「牛男」の写真以来気になっていたアーティストではあったが、グッゲンハイムを舞台に撮影した「order」というビデオを眺めつつ、その再現されたセットを間近に見る。感想・・・未だに考えるべき事がたくさんある、という考えばかりがあり、言葉にならない。画面を通して見る世界と、その中に自分が入り込んだ奇妙な感覚
を常に感じつつ、彼の表現した5層の「order」を体感する。エロティックであり、暴力的であり、ラインダンスが妙に整然としているが、世間からかけ離れた整然さで浮いていて、、、。子供の頃に感じた世界の「秩序」を、いきなり現れてきた未知の世界に驚いた(であろう)日々を、再体験しているような感覚。うーん。上手く言えない。
北隣の「国民デザインアカデミー」は作家自身を写した写真展が面白い。「ダリ」が「ダリ」なのはいいとして、Max Weberがあまりにフツーのおじさんであることに衝撃を受けるほか、知っている作家については作品が思い起こされ、その対比が楽しい。小さいが客も少なく落ち着いて鑑賞できる。
クーパーヒューイットナショナルデザイン美術館は展示の合間で休館中で残念。ユダヤ美術館は土曜はお休み(宗教上の理由?)、国際写真センターはどこかに移転している、とついてない。
ニューヨーク市立博物館は楽しい。本で読んだばかりの「アスタープレイスの反乱」の紹介コーナーがあり、その時に使われた「マクベスの冠」が展示してあり、アメリカ人ですら素通りするそのコーナーで佇んでしまった。3時から2階のホールで何故かダンスショー。普通のダンス、チャールストン(写真)、タンゴ、リンディッホップなど。他に印象に残っているのはロックフェラーの寝室の再現(この種の再現モノを見たときに常に感じる、『なぜ金持ちは落ち着かない装飾が好きなのか』は、貧乏人の自分には永遠の謎であろう)。
ムセオエルバリオ(ラテン系作家の美術館)は現代の作家(誰だか忘れた)の展示と、なぜかカリブ海の古代文明の展示。古代文明は面白かったがこの辺に来ると集中力切れ。
夜は知人と食事後、気合いを入れ直してラテンのクラブcopacabanaに行くも、12時半過ぎに入ったら、お目当てのオスカルデレオンのライブは最後の2曲だけ。落胆して30分ほどいて帰って寝た。
3日目
朝からロウワーマンハッタンを「NY」片手に歩き回り。パール通り(写真)は単なるビルの谷間の裏道。18世紀後半に「瀟洒な商家が立ち並んでいた」とは想像できない、というか、なぜ通りだけがそのまま存在している事の方が不思議になってくるような変貌。フローシンス酒場は博物館になっているモノの日曜は休み。3階建ての外観は当時そのままの様子。
バッテリーパークへ行ってインディアン博物館へ。1907年建設の旧税関らしく、大きなホール(写真)の壁画は現代的な絵。中の展示は現代の中南米のお祭りの紹介など。少ないが、マヤの陶器などはユニークな造形。1860年の日米通商条約批准のため訪れた侍達と同じコースを通って、ブロードウェイを北上、トリニティ教会を過ぎ、シティホール(写真)へ。これを眺めて、19世紀の中頃から犯罪の巣窟といわれたFive Pointsへ。今は「中華街の南端」となっており、日曜の昼間と言うことで、中国人が大勢集まっている(写真)。明るい日差し。暗い歴史はみじんも感じさせない。同時期に当時NYいちの繁華街と言われたバワリー通りも、中華街の東端で、漢字があふれている。中華街で食事後も歩く歩く。Sohoを抜けてワシントン広場へ。18世紀中頃から高級住宅地となっていたというこの付近は、20世紀の中頃の荒れた時期を経て、今また雰囲気の良い町へと変わりつつある。ワシントン広場の西に出ていたフリーマーケットを覗いたり、古
本屋を覗いたり、トイレを求めて排回しているうちに3時。ホテルへ戻って荷物をとってからアムトラックへ。
今回は、本の通りに確認して、やはりそうだと感心するダイレクトな旅行であるが、歴史を感じつつ街を歩くのは楽しい。
さて次は、と考え、マンハッタンは一通り見たし、かなり美術館も訪れたし、どうしようか、今年は後7回行く予定なのに、、、とふと思った。