DC色々体験記
2003年7月29日〜8月9日:人もうらやむ長期夏期休暇
その2 ペルー編(vol.3 リマ)
8月6日(水)リマへ
朝7時発の飛行機のためまたもや5時起き。丸2日のクスコを離れ、リマへ。
8時着。リマは曇り。偶然かと思ったら、リマの「冬」は常にこのように「曇っていて太陽は全くでないが雨も降らない」という気候なのだそうだ。海沿いの街なのに不思議。湿度も高いため「どんよりとした気候」という表現がぴったりで、気分もどんよりしてくる。
空港到着後、日系3世である当山ペペさんの経営する当山ペンションへ。まあまあの高級住宅街にあるこのペンションだが、泥棒に狙われるため鉄柵で囲まれ、看板もない。到着後、ペペさんに周囲を案内してもらう。ペルーの経済は悪く、職のない人はタクシー(車さえあれば無許可で始められるため町中はタクシーで溢れている。車の2台に1台はタクシーという感じ)か、闇両替商(ドルが流通しているため両替の需要は高い)をしているという。このタクシーがせこい。窓に「TAXI」のステッカーを貼っただけ。
紹介してくれたレストランで念願のセビッチェ(ペルー風刺身サラダ・左写真の右)を食すも、やっぱり刺身は酢のきいたドレッシングよりも、醤油の方が美味しいかな、と思う。海鮮チャーハンなどと併せひとり30ソレス(=9ドル弱)。午後は市内観光。博物館でプレインカ・インカの土器・金製品等を見るも歴史に疎く、また英語の解説がないためよく分からず。その後ミラフローレス地区(新興の商業地区で土産物屋も多い。治安も比較的良い。)散策。夜は日本レストラン「フジ」で和食。ペルーの魚での寿司・刺身を堪能。ペルーの標準からすると値段は張るがそれでもひとり80ソレス=23ドルくらい。
8月7日(木) リマ市内観光
ペペさんのガイドでセントロツアーに参加。セントロ地区は治安が悪化しておりバックは手に持たぬよう注意を受ける。ストリートチルドレンも多く夜はとても出歩けないとのこと。フジモリ大統領もいた大統領府(写真)、サンフランシスコ教会、議会、サンクリストバルの丘などを見学。トレド大統領、連邦議会議員の人気は最悪、高い給料をもらっているのに何もしていないと批判されているそうだ。どこの国でも同じ状況だと思う。サンフランシスコ教会
は過去の2回の地震かなり傷んでおり、建物も傾いている。30年周期の地震がそろそろということで、世界遺産が存亡の危機。有名な地下の遺骨安置所(写真)はなかなか面白いが遺骨を安置している場所がたまたま教会の真下だったわけで、そこに入れば骨が見られるのは当たり前といえば当たり前。別に虐殺された人っていうわけではない。
昼食はセビッチェが前菜にした魚のムニエルのコース。飲み物付で6.5ソレス(2ドル弱)は安い。スペイン植民地化の建物の数々と共に、サンクリストバルの丘から一望したリマの800万の人口が果てしなく広がる様が印象的。
また、貧しい地区(写真)も通過したが、ペペさん曰く「屋根がない家が多いのは、リマは雨が降らないためで、貧乏な人は家のまず壁を造り屋根は後回しにするためです。この辺りは水道も通っていません」とのこと。どうしたら貧困から抜け出せるのだろうか、と友人S氏と話し合いつつツアーを終える。
夜はサルサクラブへ。ペペさんに「サルサといえばココ」と教えてもらったKINBARAは木曜閉店。金土曜はライブもあり、ペルーの芸能人・サッカー選手なども繰り出すと聞いていたのに残念!仕方なくミラフローレス地区の通称「ピザ屋街」へ。イタリア料理のオープンカフェが並ぶ通りであるが、11時以降は大抵サルサのライブが入っている。自分はacheというクラブへ入った(入場料10ソレス)が、ちょっと失敗。11時半のライブ開始時に人が6人しかいない状態で、店のマネージャーは焦って右往左往しているし、バンドも気合いが明らかに入っていない。曲はオリジナルに加え、DLGやホセ・アルベルトのコピーなど。曲の傾向、ライブ前のDJを聞く限りNYや東京のクラブと何ら変わりない。ライブが始まってカップルで来ていた人々は踊り出したが、リズムをとりつつ横揺れしているだけの踊りで、ターンなどない素朴なもの。KIMBARAなどに行くともっと激しい踊りが見られるのかも。実はバンドは「前座」でそのあとメインが控えていたのだが、前座で7曲も聴いて1時になったので、帰った。帰り際に除いた他のレストラン、BARでも軒並みライブをやっていたが、人が余り入っておらず、また踊っている人も皆シンプルな踊りであった。
8日(金)ペルー最終日
午前国立博物館観光。博物館の英語ガイド付きで駆け足ながらもペルーの歴史が先史時代(竪穴式住居の時代)から分かった、、、気になった。先史時代部分は世界のどこでも似たような感じだし、興味ないから飛ばしてもらえば良かった。プレインカの多様性についてよく分かった。数ある地域の中でも、とりわけナスカの土器が面白い。その後日秘文化会館で昼食。日系人コミュニティの中心ともなっているこの会館は宿にも近く、日本語インターネットカフェ(1時間3ソレス=1ドル弱)もあるので便利。
ちなみにペペさんによれば、1899年に始まった移民、7割は沖縄出身とのこと(日系人コミュニティの中に別途沖縄県人会があるらしい)。現在日系人口は7万人。800万人のリマの人口の1%弱。
夜はペペさんと最後の食事。牛の心臓の串焼きが美味。色々食べても一人15ソレス。
深夜1時12分発のAA便で帰るも、混雑しているリマの空港(写真)。米政府による入管強化はすごい。米国行きの乗客をひとりひとり捕まえてチェックしている。偶然日本語の出来る職員であったが、誰かから預かった荷物はありませんか?など厳しい質問を受ける。色々手続きに時間がかかり、3時間前に空港入り、と言われていた理由が分かった。
2週間の休暇もあっという間に終わり、相変わらずまずいアメリカン航空の機内食を食べつつダラス経由でDCへ。
2週間の休暇ですっかり仕事する気がなくなった。このまま引退してもいいと思う位。でも明日から仕事かあ、、、。