DC色々体験記 2003年12月
12月某日 ハーシュホーン美術館(DC)
美術館の建物は円柱状。建物内をぐるぐる回りながら鑑賞する仕組み。展示はゆったり。作家毎に集められている。
まずJoseph Cornellのガラス箱の作品が目に入る。これを見ると古めかしい理科室の標本を見ているような感覚になる。それぞれ個性的だが、箱上部に渡された金属の棒、それに乗っかる球体、もしくは輪っか、という共通点。全く持って意味不明だけど、切り貼りの絵・写真の効果もあり、何かストーリーを感じる。
どこかの美術館にもCornellの作品が沢山あって印象的だった、、と思い出そうとしたが、最近余りに多くの美術館に行きすぎて、どこがどこだか風景が混乱していることに気付いた(しかも家に帰って確認したら、お隣のNational Garalleyだったことに気付き愕然)。
William de Kooning(1904-67)のWoiman(1948)は、「一筋縄ではいかない」という感じの女性像。激しい絵であるが、色調は抑えめであるところがいい。Francis Bacon(1909-92)のSelf Portrait(1958)は、敢えて難しいポーズは画家のユーモアだと捉えたのだが。自らを矮小化、コミカルに表現することを厭わない姿勢。絵は暗いけど画家の気持ちは明るい、そういうgapが良い。
Kenneth Sheltonの”Maquette for a Sculpture”は、全てが全てを支え合う、ひとつとして独立して立っている物はいない、というところで、人間社会、コミュニティになぞらえてみたくなる。でも全体として歪んでいる、とも見ることが出来るのだが。George Segalの石膏作品も好き。アメリカ現代美術の定番、という感じがする。
「白黒の間」と名付けてしまった、モノトーンの絵を集めた部屋。色は少ないけど、構図、タッチ、枠、タイトルetcでこんなにヴァリエーションが出せるものだ、と思うが、同時に、ふと、蕎麦に凝る蕎麦打ち職人(シンプルだけに奥深い、とか言ってそうな、、、)を思い出した。結局自分には興味のない世界だ。そう思っていたら、「何故画家達はしばしば色を捨て、白黒の絵を好むのか?」という問いに対する「作家の答え」が入り口にあったが、抽象的な英語表現のせいもあり、やっぱりよく分からない。
今回最も印象に残ったのは、一室全てが紙で埋め尽くされている部屋(作家名メモし忘れた)。ずっと、天井から機械で紙が落ちてくる。紙を踏みしめ室内へはいる。何が意図なのか分からないけど、大がかり、体験的でインパクトは十分。これってお金がかかるだろうが美術館側はずっと続けるのだろうか、などと余計な心配。
1時間半ほどで、ざーっと流した感じ。でも良かった。また来よう。