DC色々体験記 2002年12月 カンクン・ハバナ旅行記

 

【ハバナ編】(前編)

12月27日

昼12時50分発のフライトでハバナへ。わずか1時間の短いフライト。飛行機に上から見るハバナ近郊の畑はカラフルで、貧しいようでもあり、普通の農村のようでもある。

入国審査で旅券についてとやかく言われることもなく、無事通過。今回はCasa Particularといういわば公営の民宿をインターネットを通じて予約し、そこを通じて送迎サービスもお願いしていたが、如何せん未知の国の人物とのやりとりであり、不安であったが、到着ゲートで無事送迎サービスの掲げる自分の名前を発見して一安心。空港から民宿への車中、窓から見える道路、建物の貧しい作りは、キューバらしいといえばそういう気もするが、米国の田舎の寂れた街もこんなモノかもしれないとも思うも、やはり周囲に走る車のぼろさ、排気ガスの臭いにキューバを感じる。送迎サービスも、40年くらい使っているのではないかと思われるオンボロ車。ガソリン臭が車内にも。送迎に来ていた2人組の親子は英語は話せるので会話しつつ向かう。事前に聞いていた民宿の住所を見せると、私はここに連れて行けといわれた、といって、別の住所を見せられる。訳が分からないが仕方なく従う。

着いてみると、民宿は旧市街一賑わっているオビスポ通り(幅4m位の狭い通りだけど)に面した建物の2階。家主はD(本人のためにも仮名)という20歳すぎの若者とその彼女。住所が違うことを指摘すると、自分も今日2人組の女性が来ると聞いていた、という。カーサのサイトの責任者に連絡を取ってもらう間旧市街(Havana Vieha)を散策。

 

天気はよく、明るい日差し。街はビデオ・カメラ片手の観光客であふれている。黒煙を上げて走るクラシックカー、小さく丸いココタクシー。店の品数・種類の少なさ、そしてそれに群がる人々。店舗はいずれも質素で、派手な広告は見かけない。ショウウィンドウもモノが「陳列」というよりは無造作に「おいてある」といった印象。紙が少ないのか、宣伝文句を記した印刷物、チラシなどはほとんど無い(とかく「宣伝」という概念が希薄だ)。闇レストラン、葉巻を持ちかけてくる人々。いい大人のくせに、日本人と見るやいきなり「サヨナラ」(挨拶の言葉と間違って覚えている様子)、「ハポン!」と声を掛ける人々。排水の悪い整備の行き届いていない凸凹の道路。見上げれば、昔はオフィスビルであったと思われるビルに住んでいる人のカラフルな洗濯物。崩れかかった廃ビル。ガラス窓は貴重なのか、店舗以外では殆ど見かけない。木製のブラインドのみで。さりげなくも、路上で人々を監視している警官。レストランに必ずいる生バンドによるサルサ、ソンの響きが通りにまで響いてくる。

 

スペイン植民地の香りと革命、社会主義の顔、そして貧乏な途上国。歴史的な変遷のはずなのに同時代に3つが混在・同居している。紛れもなくキューバ。

 

散策から戻ると下宿管理のマネージャーが直々に来ていた。曰く、「ハイシーズンだから仕方なく変更した。」、、、後にこの言葉は大嘘であることが発覚。

 

民宿は地元の人の普通の家だけあって質素だと当初は思っていたが、実は下宿として営業するために、お湯の出るシャワー、水洗トイレ(水道施設が貧弱なためキューバの一般家庭殆どのトイレは、用が済むと自ら汲んでおいた水を流すというタイプ)や、寝室のシャンデリア、扇風機は新品を調達した(らしい)と知る。

また、後にこの宿はホームページには載っていない非合法下宿で、ホームページの管理人の役人が横流ししているもの(25ドルの宿泊料のうち家主が20ドル、役人が5ドルの取り分とのこと)ことを後に知ったときにはさすがに驚いた。特に下宿としての機能は同じであるし、家主Dもいい奴だったからそのまま予定通り宿泊したけど。この程度の問題はハバナに来る以上は織り込み済みであったけど。

バーで生バンドを見つつビール。カンクンであった日本人女性2人組との夕食。そこに話しかけてきた日本語を話せるロスから来ているアメリカ人夫妻からインストラクター(リザルド・デビッド)を紹介してもらい、翌日午前中2時間のレッスン(2時間で15ドル)を早速予約。

 

12月28日

 午前ダンスレッスン。男女が組んでるときも男女とも常にバックステップを踏むというのは驚いた。キューバンスタイルはそうっだった?。彼の姉(写真右。実は無愛想)と2人で教えてくれた内容は、彼が作ったペアワーク(番号がついている)1から順に学んでいくというモノ。ベーッシクが両方バックステップであるところを除けば、組み合わせを覚えていくだけなので、順調に進むも、「ハイ、5番やってみて」と突然いわれてとまどったりする。彼の英語は、たどたどしいところもあるが、レッスンに支障を感じるほどでない。ムーブメント等を教わりたかったが、今回は彼の順番に従った。15ドル+ビデオ撮影料20ドル。翌日も2時間を予約。

午後、アンボスムンドスホテル(ヘミングウェイの定宿)屋上のレストランで昼食。レモネードおいしい。食事も一般にシンプルな味付けでまずまずおいしい。アメリカにいてかなり期待値が下がったためか。CIUDAD博物館(写真)建物自体が歴史的なもの(植民地時代の知事の住居)とのことだが、展示物はスペイン統治下で使われていた銀製食器、誰が描いたのか分からない17世紀の肖像画など、さしたるモノはない。その辺り所詮は貧乏国の博物館。キャピトリオ(革命前までの国会議事堂)観光。本会議場の作りはもちろん、与野党の控室まで興味深く観察。

夕刻、カサデラムシカ(ミラマール)のマチネー。打楽器と数人の歌い手だけのシンプルなバンド(名前確認忘れた)。客は観光客+それ目当てのヒテネーラ。ライブ+掛け合いの踊りを楽しむ。アフリカのリズムもキューバの音楽の源の一つ。

夜、家主のDと色々話す。下宿が非合法であることを知ったのもこの時。この国には仕事がないこと、あっても月5ドル程度の仕事で、服などなかなか買えないこと、彼の兄が葉巻を非合法に捌いて5千ドル貯め、コロンビア経由でマイアミにわたっていること、自分も近々恋人とともにアメリカに密入国する予定であること等々。今晩は本当は非合法の闘犬(当然バクチ)に出かける予定であったことも。木訥とした好青年の彼の無事を祈らずにはいられない。

 

その2へ続く