DC色々体験記
2003年7月29日〜8月9日:人もうらやむ長期夏期休暇
その2 ペルー編(vol.2 マチュピチュ)
8月5日(火曜)
5時起床。高山病から来る偏頭痛を抱えつつ駅へ。列車は6時発。クスコを囲む山を越えるため、つづら折りでスイッチバックを繰り返す。山を登りつつ見るクスコの全景も美しいが、その斜面に張り付くように住んでいる人々の苦しそうな生活の様子も印象的。1時間ほどかけて山を登った後、列車は2時間以上かけ、両脇にそびえる崖のような高い山々の間を縫うように、ひたすら川沿いにゆっくり標高2100メートルのマチュピチュを目指して下っていく。高地のため緑は少なく低草がまばらに生えるだけの山々も、高度3200メートルを過ぎると、2500メートルくらいまでサボテンや低木が見えてくる。マチュピチュ近くになってくると高木やカラフルな花も。赤や紫に咲く花を見て、これまでのクスコの景色がモノトーンに思えてきた。
9時45分マチュピチュ着。300m程のおみやげ物屋街を抜け、バスに乗り込み20分、これまた山地独特のつづら折りを上り、いよいよマチュピチュ到着。入り口は観光客でいっぱい。天気は快晴で日差しが強いが、気温は20度ほどで快適。偏頭痛もなくなり、呼吸も楽。
マチュピチュへ通じる道を抜けるとすぐに段々畑(の跡)(写真)が面前に広がる。視線をあげると石で作られた建物群、その奥にワイナピチュがそびえる。周囲の緑多い山々に囲まれ、まさに空中に浮かんでいるかのような都市が突然と現れた感覚。早速一番高い見張り小屋へ。ここからはマチュピチュの有名な景色。何度も写真で見た景色であり、ありふれた写真となるのは解っているがついついシャッターを押してしまう。常々その写真を見るたび、後方はどうなっているかが気になっていたが、行ってみて初めて、もっと高い山があることを知った。マチュピチュ遺跡自体は、もっと高い山からワイナピチュへ繋がる途中の尾根伝いに作られていること、つまり山のてっぺんにあるのではないことに気づく。というわけで後ろを見たら山があった(観光客が写っている写真)。確かに山のてっぺんに作ってしまうと、生活・農業に必要な水の確保が難しい。マチュピチュは「隠された都市」ではあるが、あくまで「都市」であり「砦」ではない。
一番高い見張り小屋を離れ、マチュピチュ内を歩き回る。段々畑の精巧な石組み、そしてそれが60度くらいはあろうかと思われる急斜面に多数作られていることに驚く。太陽の神殿、王女の宮殿、水くみ場、数々の住居跡。石組みの多くが壊れているが、500年近くも山に埋もれていたとは思えない、ちょっと前までインカ帝国の人々がうろうろしていたのではないかと思われるようなリアルさ。
空は青く時折吹く風が気持ちいい。散策に疲れた観光客の中には、日陰の芝生の上で昼寝している人もいる。きっと当時の人々も、仕事?の合間に日陰で寝転がっていたことであろう。ただ、当時のインカ帝国は滅亡の過程にあり、スペインに追われているという状況にあった。見つからないようにひっそりと暮らしていたのか、案外のんびりと秘密都市での生活を楽しんでいたのか。
列車の都合で4時間ほどしか居られなかったが、全く飽きない。ビデオも沢山回したし、写真も沢山撮った。ただついワイナピチュをバックに写してしまう。あとで見返してワイナピチ
ュを本尊とした庭園を撮っているような感じ。
ともあれ、来て良かったとしみじみ思ったマチュピチュであった。
帰りの列車は、行きとは逆に徐々に高度が上がってくる。3000mを超えても不思議と頭痛などの症状はない。きっと体が慣れてしまったらしい。クスコに戻ってプカラで夕食。
8月6日 リマへ
朝7時発の飛行機のためまたもや5時起き。丸2日のクスコを離れ、リマへ。