アート都市/縦断(3)
 
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記憶・再生装置としてのミュージアム

美術史を専門とし美術館で働いていた私にとって、長いことミュージアムというと美術館のことでしかなかった。大英博物館であろうと東京国立博物館であろうと、食い入るように見ていたのはつねに美術作品だった。その後、思いもよらず大学でミューゼオロジー
(博物館学)を教える立場に置かれ、あらためて自分にとって美術館以外のミュージアムとは何だったかについて、記憶の糸をたぐってみる気になった。

私はアウシュヴィッツを訪れたことがないのだが、何十年か前に広島平和記念資料館
(m)を訪れ、胸を打たれた記憶がある。原爆ドームとこの資料館に私は二度ずつ行っており、そのたびに資料館に、原爆ドームに勝るとも劣らぬ衝撃を受けたように思う。

平和記念資料館について、くっきりと残っている記憶がふたつある。ひとつは無残にぼろぼろになった中学生の服、破れた弁当箱など、生々しい原物の展示である。現在の資料館のサイトは、たいへんていねいにつくられており、そこに掲載されている多数の展示品の写真は、かつて私が体験した思いを彷彿とさせてくれる。

もうひとつ、私にはこの資料館周辺の景観がたいへん印象に残っている。原爆ドームのある北から記念公園にはいり、慰霊碑を経て南にくだり、資料館の入り口の階段を登るときには、ちょうど信者が教会にはいるときのように、気持ちの準備ができている。この導入路あってこその資料館であったように思う。この都市計画および建築の全体は、最初期の丹下健三の傑作である。高度経済成長期以後に彼が見せた押し出しの強さ、上昇指向はまだなく、平明、控え目で、すがすがしい。

モダン・デザインそのものである公園と資料館を見たあと、その内部にはいり、対照的に重く、暗く、生々しく、グロテスクな原物を目の当たりにして、衝撃を受けるのである。それはまさしく、近代という時代のもつ条理と不条理の対比である。

東京でも第2次世界大戦末期の1945年3月10日に大空襲があり、10万人以上が死んだ。広島の平和記念資料館に相当するものとして、すでに触れた都立横網町公園の復興記念館
(i)がある(6)。これは関東大震災と第2次大戦のふたつの悲劇を、ともに扱うミュージアムなのである。展示品としては、高熱で歪んだ自転車など、広島の資料館と似てなくもない「原物」が並んでいる。

1931年に竣工した復興記念館を先日訪れてみて、ミュージアムとしての古めかしさに不思議な気分になった。建物が古いのは当然だが、おそらく戦後の1956年に再開してからほとんど改変がなされていない内部の展示は、それ自体「博物館もの」であり、半世紀前にタイムスリップしたような気持ちにさせられるのである
(n)。ミュージアムとして多数の現物を収蔵するのは広島平和記念資料館と共通するのだが、後者がモニュメントとして、私自身を含め多くの人の記憶にとどまるイメージャビリティをもっているのに対して、復興記念館は、それ自体ほとんど忘れ去られてしまっている。一体何がちがうのだろうか。

明快な形態をもつ広島平和記念資料館が都市計画の要の位置に立っているのに対して、東京の復興記念館は、ちょっとした公園の中にあるものの、公園は東京の片隅にあり、その公園の中で建物はさらに片隅にあって、見た目にもおよそ目立たない。またここでは、遺物
(現物)を「お蔵入り」して保管する発想がまさっていて、モノにまつわる情報を提示する発想が希薄に見える。広島の資料館では、どこで被爆し、何時間後に息絶えた誰それの着ていた服、などという生々しく詳細な情報がつけられている。

私が少年の頃に見たミュージアムの展示は、たしかにモノが並列されているだけの単調なものだったように思う。それ以後、それは年を追うごとに動的・体験的なものになってきている。

私は、東日本大震災と福島第一原発事故のために、現代的な発想の粋を寄せ集めたミュージアムが必要であると思う。狭い意味でのモニュメント、つまり記念碑のようなものは、もはや私たちの時代が求めるものではない。本当の意味でのモニュメント、つまり記憶をとどめ、再生する装置は、ミュージアムの形をなすべきだと考える。

そのミュージアムにはもちろん、この悲劇を即座に喚起しうるような生々しい現物が集められなくてはならないが、写真やテレビ映像を含むあらゆる情報のアーカイヴともならなくてはいけない。地震や放射能などについても、客観的な理解ができるような一種の科学博物館の側面も必要だろう。現代の博物館はさまざまな方法を用いることによって、これまでになく体験的かつインタラクティヴな装置となっている。記憶を保管・整理するだけでなく、再生することがより重要になっているのである。

そしてそのミュージアムは、ちょうど広島平和記念資料館のように、都市の中でもっともふさわしい地点にランドマークとして置かれ、一目で記憶に残るような明快な形態をもたなくてはならない。ミュージアムは、その周囲に生きる者たち、私たちの座標原点にならなくてはならない。

「大震災の遺したもの」完


宮崎克己「大震災の遺したもの(4) アート都市/縦断(3)」『アートの発見』 碧空通信 2013/05/05
Copyright 2013 MIYAZAKI Katsumi
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(m)広島平和記念資料館(写真:Wikipedia)






















(6) 近年、復興記念館も歴史の研究対象となってきている。最新のもの一つを挙げておく。高野宏康「『震災の記憶』の変遷と展示−復興記念館および東京都慰霊堂収蔵・関東大震災関係資料を中心に」『年報非文字資料研究』6号、神奈川大学日本常民文化研究所非文字資料研究センター、2010年3月。なお東京大空襲関連のミュージアムとして、2002年に江東区に開設された東京大空襲・戦災資料センターもある。




(n)都立横網町公園、復興記念館、展示室 (撮影:K.M.)