細部に宿るもの(1)
 
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平泉からブルターニュへ
   
   
3年前に平泉を訪れたとき、毛越寺(もうつうじ)の浄土庭園の中のこの屹立した石に心を惹かれた (a)。その平明で水平性の強調された広い庭において、垂直性を指示するこの立石(たていし)は特別な存在に見える。手前の荒磯は、向こうの屹立した石へと視線を導く助走となっており、その推力はこの石において天空へと転ずる。この石には、聖性すら感じられる。そう、これはたぶん神が降臨する依代(よりしろ) そのものなのだろう。


(a)毛越寺庭園の立石 (Photo:K.M. 2008)

仏教における本来の浄土庭園は方形であり、それに対してこの庭は全体として自然風景、それも海岸を表現している。この庭がつくられたのと同じ平安時代の「作庭記」が、「生得の山水」、つまり自然を参照して庭をつくることをつよく求めているのと、これはぴったり符合すると言われている。平安時代の人々は山水を愛で、歌に詠んだり絵に描いたりしていたが、その基底には日本固有の信仰、自然物のうちに神々を見いだす信仰があり、それは外来の仏教とも融合していた。したがって浄土庭園に依代があって、何らふしぎではない。

平泉を世界遺産に認定したユネスコの委員会の報告では、毛越寺などの庭園を「日本固有の自然信仰・神道と浄土教との融合」によるものと見なし、その点に世界遺産としての「普遍的」価値を認めている。普遍性は往々にして、すぐれて個別的なもののうちに見いだされるのである。


(b)モネ《ベリール、ポール・コトンのピラミッド岩》1886年、コペンハーゲン、ニュー・カールスベア美術館

ところで、私が平泉でこの立石を見て思い出したのは、モネの描いたブルターニュ風景だった
(b)。これは、脈絡のない連想に聞こえるだろうか。荒々しい海辺の光景は、西洋絵画においてもときおり出現していたが、しかし海中の奇岩が、中心的なモチーフとして画面の中央に置かれることは、西洋ではかつてなかった。したがってモネによるブルターニュの海景画群は、日本絵画からの影響、つまりジャポニスムとふつう考えられている。モネは、浮世絵(c)・扇子・屏風などに頻繁に登場する荒磯の風景に影響されたにちがいない。日本でこうした巨岩・奇岩がしばしば信仰の対象となっていたことに、彼がうすうす気づいていた可能性もある。

モネはここで聖性をおびたもの特有の、人目を引く力強い形態を、西洋的な「崇高さ」の表現に置き換えてみせた。こうして、日本固有のものがより普遍的な姿に変身したのである。


宮崎克己「平泉からブルターニュへ〜細部に宿るもの(1)」『アートの発見』 碧空通信 2011/08/31
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(c)歌川広重《《薩摩坊ノ浦雙剣石》
1853-56年頃