細部に宿るもの(16) |
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都市を仰ぎ見る |
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歴史ある都市を散歩することは、私の最良の楽しみのひとつである。「観光」と言ってしまうと急かされているようで味気ないので、「散歩」にこだわりたい。 そのような都市を高みから一望するのも、もちろん悪くない。ヨーロッパの古い都市には、大聖堂と市庁舎という二つの中心があり、そのどちらかの屋上や塔に登れるような場合、私はできるだけそれを試みることにしている。かつての市壁が残っていなくても、現実の光景と地図とを見比べると、ヨーロッパの都市に共通の形をとらえることができる。 しかし高みから見下ろすヴィジョンは、散歩によるヴィジョンとはまったく違う。まして地図は、言うまでもなく体験的ではなく抽象的なものである。気ままな街歩きのメリットは、第一に、その都市の大きさ、坂の多さなどを体で実感できる点にある。第二に、観光ガイドが教えてくれそうにない細部、すなわち窓の手すりの形状、商店のディスプレー、郵便ポスト等々に対して、自分だけの関心で注目できる点にある。 私が最近、街歩きで実践しているのが、ときどき真上方向を仰ぎ見ることである(a)。いそいそと歩く観光客で上を向く者は稀なのだが、これが意外に面白い。 (a) パリ、ソルボンヌ (Photo: K.M. 2013) 建築の外観写真は案の定、上から見下ろしたものか、水平にとらえたものが多い。下から仰ぎ見たとき何が見えるか? もちろん空である。自然の重要な一要素としての空である。 都市の中で海辺・川辺の地域には、独特の雰囲気がある。しかし都心であれば、自然などほとんどないのがふつうで、そうした中で空こそ唯一の自然であることが多い。海の色と同様に空の色には、その国の気候が反映するものである。 昨年パリを訪れたのは8月下旬だったが、空にはすでに秋の気配が見えた(a)。そしてこの空には、パリの建物の灰色がよく似合っている。もちろん近代以前の都市の色は、近郊の石切り場の石の色から来ることも多く、パリもその例外ではない。しかし、パリの家がフィレンツェの家(b)の色でないのは、やはり空の色とのかねあいなのではないか、と想像される。フィレンツェの家はオレンジ色の壁に緑の窓枠、赤の軒、と結構派手だが、イタリアの空の色と大層良くマッチしている (ちなみに、左右の軒が空を切り取る微妙な形にも、何かイタリアらしさを感じる)。 建築の側にも実は、見上げることをうながす工夫が少なからずあるように思える。とりわけゴシック教会(c)には、怪獣の形をした雨樋 (ガーゴイル)や、屋根の縁の装飾など、近くから見上げてはじめて見えるような細部がかなり多いのである。 (c) パリ、サント=シャペル (Photo: K.M. 2013) 建物を仰ぎ見るとき、日常生活を送る者にとって実利的な意味がほとんど生じない。むしろそれは、一瞬の休息のときなのである。しかしだからこそ散歩にふさわしいのだと言える。現実には自転車にぶつけられたり、スリの恰好の餌食になったりするかもしれないのだが、ともあれ見上げたときに、都市を自分の目と体でとらえているたしかな感覚が生じるように思える。 たまたま、パリのサント=シャペルを仰ぎ見たときに飛行機雲が伸びていた(c)。その一瞬、中世に向き合う現代人、フランスに向き合う日本人である自分が、新鮮なものに思えた。 宮崎克己「都市を仰ぎ見る 細部に宿るもの(16)」『アートの発見』 碧空通信 2014/03/14 Copyright 2014 MIYAZAKI Katsumi 無断転載を固くお断りします。引用の際は上記書誌データを明記してください。 |
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