細部に宿るもの(15)
 
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パリの窓〜ジェイムズ・ジョイスを想う
   
   
昨年の夏、パリで、短期間ではあったが二寝室のアパルトマンを借りた。それは、重厚なソルボンヌ大学、庶民的なムフタール通りのどちらにも程近い5区にあり、表通りから100メートルもはいる袋小路(a)の奥の、内庭をコの字型に囲む住宅棟の中にあった。街路から隔絶しているため、騒音はまったく聞こえない。

建物は百数十年ほど前のものだろうか
(b)、ただし居住空間はリノヴェーションしてある。家主が置いたままにしている大量の書籍・家具・食器などのせいか、一日も経たぬうちに私のうちに、かつての留学時代の生活感覚が戻ってきた。日常的な言語、食べ物についての嗅覚と味覚に加え、やがて、もう一つ重要な感覚、「室内感覚」とでも呼ぶべきものが蘇ってきた。

フランスの窓は小さく、日本家屋の窓はとても大きい。前者は、あたかも開口部のない暗い箱に穴を穿ったかのようだが
(c)、後者は、完全に素通しの柱の骨組みに申し訳程度に壁を添えたかのようである。前者は、室内と屋外を完全に遮断するが、後者は、両者を交流させる。


(c) 内庭に望む窓 (カルディナル・ルモワンヌ通りのアパルトマン)(Photo: K.M. 2013)

西洋絵画において「窓」は、19世紀はじめのロマン主義の時代から重要なモチーフになり
(d)、それ以後、マネ、ボナール、マチスなどの例を思い出せばわかるように、かなり頻繁に描かれる。画中に窓が描かれることによって、そこが「室内」であることが意識化される。そして「室内」は、「内面」のメタファーとなっている、と私は考える。近代人は、内面(インテリアという、実は誰も見ることのできないものを、室内(インテリア)に置き換えてとらえようとしていたのではないかと思う。

パリは、とりわけ個人主義の徹底した街である。ここに住むフランス人たちはきわめて個性的なのだが、ここにはまた、アラブの大富豪から倹約生活を送る留学生まで夥しい外国人がおり
(もちろん私自身もその一人だが)、彼らは宗教も価値観も千差万別である。これら異質な人間たちが皆、他者から冒されない室内=内面を、カタツムリの殻のようにかかえつつ暮らしているのが、パリという都市なのだと思う。

街路から私のいた建物に向かう通路の脇の銘板によると、ここにかつてジェイムズ・ジョイスが滞在していた。どのアパルトマンであるかわからないが、すべての部屋のすべての窓がこの内庭に面しているのだから、彼がこの内庭を見ながら執筆していたのはまちがいない
(e)。彼は妻子3人とともに、1921年6月から5か月間ここに滞在し、すでにチューリヒで書き進めていた『ユリシーズ』にようやく出版の目途がついたこともあって、この間その執筆に深く没頭し、ほぼ完成にこぎつけた。


(e) パリ、カルディナル・ルモワンヌ通りのアパルトマンの窓 (Photo: K.M. 2013)

ジョイスの『ユリシーズ』は、チューリヒでもパリでもなく、彼の故郷アイルランドのダブリンを、パロディ、皮肉、駄洒落を交えながら泥臭く、細密に描いたものである
(ある1日に生起するこの物語を読むのに、優に10日かかる)。ホメロスが書いたとされる『オデュッセイア』を踏まえつつ、厖大な量の古典や現代文学の断片を散りばめているのだが、叙事詩や神話の英雄・偉人たちを卑小な庶民に置き換えている。

ジョイスの場合は、カタツムリの殻などではない。17か国語を話すことができたという彼は、巨大な伽藍のような図書室を自分の頭の中にもっていたのである。それでいて、過去の偉大な存在を笑い飛ばすとともに、自分も泥まみれ、糞まみれになって見せる。

皆が共有する「パリ」という全体像は、実は存在しない。まちがいなく現代においても、その中の小さな室内それぞれに、さまざまな宇宙が潜んでいる。


宮崎克己「パリの窓〜ジェイムズ・ジョイスを想う 細部に宿るもの(15)」『アートの発見』 碧空通信 2014/03/13
Copyright 2014 MIYAZAKI Katsumi
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(a) パリ、カルディナル・ルモワンヌ通りからの通路 (Photo: K.M. 2013)


(b) 古い階段 (カルディナル・ルモワンヌ通りのアパルトマン) (Photo: K.M. 2013)



(d) レオン・コニエ《ローマ、ヴィラ・メディチの画家の部屋》1817年、クリーヴランド美術館