細部に宿るもの(14) |
アートの発見 宮崎克己のサイト |
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迫真のつくり物〜日本のリアリズム考 |
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高橋由一ら明治前期の洋画家たちの作品を見ていると、いかにその時代の日本人たちが西洋絵画の迫真性、あるいはリアリズムに憧れを抱いていたかを実感させられる。 ところで、同じ明治時代に日本にも迫真性の極致ともいえる工芸が存在し、多く輸出されて西洋人たちを魅了していたことを、私たちは長いこと忘れていた。その代表的な例が、近年再評価され、のみならず一種流行にもなりつつある眞葛焼(まくずやき)の宮川香山(a)である。 (a) 宮川香山《磁製蟹細工花瓶》(部分図) 19世紀後半、宮川香山 眞葛ミュージアム ※ホームページよりの転載を許可してくださった宮川香山眞葛ミュージアムに、感謝いたします。 横浜で開窯した香山は、西洋人の嗜好に触れ、こうした立体的で細密かつリアルな装飾を陶磁器に貼り付けることを思いついたという(1)。この手の作品は、1876年のフィラデルフィア万博で受賞して以後、欧米で大変な評判を呼んだ。これは日本だけでも西洋だけでも生まれえなかった、その両者の「迫真性」への思いが交わった地点で生まれた工芸なのである。 さて、それではこの香山の独特な表現は、どこから来たのだろうか。ヨーロッパにも、たとえばマイセン以後の18世紀の磁器人形などには、おそろしく手の込んだ細工が見られる。また、中国には、超絶的な技術による象牙や瑪瑙の工芸がある。しかし、香山のものはそれらとちがい、どことなく日本的に見える。 これらが日本的に見える理由のひとつは、そのモチーフにある。西洋では蟹、昆虫、蛇、鳥といったものは、長いこと美術の主題にする価値がないと見なされてきたのであり、それゆえこれらに真正面から向き合う日本の美術工芸に、大いなる新鮮さを感じたのである。しかもそれらは、西洋の博物学の図鑑などとちがい、活きている姿で動的にとらえられている。さらには、これだけ生真面目に迫真性を追求した挙句に、これが「つくり物」であることを明かしてしまうような一種のズラシがあり、遊びと笑いの感覚が含まれているのである。 こうした日本独自の迫真性の表現は、実はすでに江戸時代にあった。その例として、これも最近注目を浴びるようになった自在置物(b)がある(2)。これは主として鉄製で、やはり小動物を精緻かつ迫真的に再現したもので、各パーツが可動式であるという点で、彫刻と玩具の中間に位置する。アート(美術・技術)であり遊びでもあると言える。これもまた明治初期に海外で熱愛され、日本からほとんど流出してしまい、近年買い戻されつつある。 西洋のリアリズムは、対象を迫真的に描くだけでなく、それを超えたところにある真実を明かそうとする。ファン・アイクやカラヴァッジオにあっては、それは神につながり、クールベにあってはそれは現実社会につながる。おのずとリアリズムには、何かシリアスに思い詰めた気分がある。それでは、遊びを含む日本の迫真性は、リアリズムの名に値しないのだろうか。 私は、日本のズラシ、「遊び」「笑い」にもまたある種の世界観がこめられていると思う。固定的・静的にとらえる西洋の世界観とはちがう、流動的・相対的な世界観があるように思う。したがってこれもまた、深い意味でのリアリズムなのではないかと考える。 絵画の世界でこうした迫真性の代表例である江戸中期、若冲による『動植綵絵』は、本人と家族の永代供養を願って相国寺に寄進された。この事実もこの迫真性、この笑いが、一種の哲学を内包していたことを明らかにしている。 こうした迫真性、もしくはリアリズムは、日本でも西洋でも20世紀前半のモダンアートの時代にないがしろにされてしまっていた。しかしそれゆえ逆に今日、現代的であるように見えるのである。 宮崎克己「迫真のつくり物〜日本のリアリズム考 細部に宿るもの(14)」『アートの発見』 碧空通信 2014/02/26 Copyright 2014 MIYAZAKI Katsumi 無断転載を固くお断りします。引用の際は上記書誌データを明記してください。 |
細部に宿るもの・扉 前頁 次頁 アートの発見・トップ (1) 宮川香山と眞葛焼については、次の文献に詳しい。山本博士・編著『眞葛焼 初代宮川香山作品集』神奈川新聞社、2010年 (山本博士、金子賢治、クレア・ポラードの論文などを含む); 二階堂充『宮川香山と横浜真葛焼』(横浜美術館叢書7) 横浜美術館学芸部編、有隣堂、2001年。 (b) 明珍清春《鷹》(自在置物・鉄製)18-19世紀、東京国立博物館 (Photo: K.M. 2014) (2) 自在置物については、次の文献に詳しい。原田一敏『自在置物』(別冊緑青vol.11)、マリア書房、2010年1月31日。 |