細部に宿るもの(13)
 
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ゴシックあるいは進歩の建築
   
 
パリに留学していた頃の私は、ノートル=ダム大聖堂の中にすわって思索することがよくあった。西洋の「空間」とは宇宙を幻視させるものであると定義できるだろうか、などといったことを考えていた(a)。ゴシックの魅力のひとつは、そうした巨大空間のもつ日本人の想像力を超えた象徴性にあるが、もうひとつの魅力は構造の明晰性にある。

ゴシック建築は構造を可視化している。ルネッサンス以後の西洋建築、とりわけバロックやロココ建築は、見た目の表現効果を重んじる結果、構造を見えにくくした。しかしゴシックの時代の人たちは、建築構造をこれ見よがしにあらわにしている。

(a) パリ、ノートル=ダム大聖堂、身廊・袖廊交叉部の丸天井 ( Photo: K.M. 1983)


それまでのロマネスク建築が分厚い壁によって、つまり「面的」に屋根の重みをささえていたのに対して、ゴシック建築は柱によって、「線的」にそれをささえる。その考え方は柱だけでなく、天井のリブ・ヴォールト、外部のフライング・バットレスにまで貫徹されている。ゴシックが進展して技術がより高度になると、壁の半分以上が窓になり、そこに華麗なステンドグラスをはめられるようになる
(b)。そのようなゴシック建築の優れた点を解明したのは、19世紀のヴィオレ=ル=デュックであり、彼の考え方は、近代の機能主義に強い影響を及ぼした。以上は、建築史の概説書にしばしば語られることである。

(c,d) パリ、ノートル=ダム大聖堂、身廊・袖廊交叉部 (Photo: K.M. 1983)

あるとき、ノートル=ダムの身廊の高窓を眺めていたら、袖廊との交叉部の近くだけ、意匠がちがうことに気づいた
(c, d)。調べてみると、この建物は1163年に建造が開始され身廊は13世紀はじめにいったん完成したのだが、1230年頃になって、より多くの光を取り入れるため高窓を、最新の技術を用いて改修した。しかし交叉部だけは技術的に難しかったこともあり、当初の意匠が残ったということである。中世の人たちは、建築において古い時代のものと新しい時代のものが入り交じることに、ほとんど抵抗感がなかった。

ゴシックの大聖堂の多くは、数十年かけて建造された。そしてその年月のあいだに技術が急速に進歩したので、ひとつの建物のなかに古い部分と新しい部分が大々的に混在することになる。構造が可視化されているだけに、それはおおいに目立つのだが、ゴシックの人たちはそれもまた隠したりしなかった。ゴシックの面白さは、構造を可視化しているだけでなく、進歩を可視化している点にある。

絵画史においてはなかなか「進歩」は語れない。印象派よりもポスト印象派の方が、さらにはフォーヴィスムやキュビスムの方が進歩している、などとは言えない。それに比べるとゴシックの黎明期から最盛期までの過程には、技術的な進歩が歴然と表れており、その結果として彼らの当初からの夢が大きく開花していったのが手に取るようにわかる。これは文化史のなかでかなり例外的なことであり、私はそれゆえゴシック建築に、ほかにはない爽快感を覚える。


宮崎克己「ゴシックあるいは進歩の建築 細部に宿るもの(13)」『アートの発見』 碧空通信 2012/04/14
Copyright 2012 MIYAZAKI Katsumi
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(b) サン=ドニ聖堂、身廊から見た内陣。高窓は1231年から1264年の間の改修による。(Photo: K.M. 1983)