2009
20
ツーリングレポート
コース 三芳PA−渋川伊香保−榛名山−武尊山−坤六峠−赤城山−渋川伊香保
参加者
(敬称略)
武信(H.VF750) 熊谷(BMW.R1150GS) 田中(S.GSX-R1000)
伊東(Y.YZF R1) 吉浜(BMW.R1150R) ガンメタ(K.1400GTR)
内田(BMW.R1150RT) 田口(BMW.R1150R RS)  
ゲスト:フジキング(K.ZZR1200) ドンキホーテ(S.スカイウェーブ400)
走行距離 548km(横浜起点)
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 衆院の解散に合わせた訳ではないのだが、紆余曲折を経て一週間と一日遅らせての開催となった今回ツーリング。三連休最後の「海の日」に群馬の緑の「山々」を駆け巡ってきた。空はごらんのとおり、ツーリングはやはり青空の下がいい。
 三芳PAで遠くから見ても目立つ一群がツバサだ。メンバーはほぼ集結している。てっきり南海の孤島で皆既日食でも見ていると思っていた旅人フジキングも来ている。スクーターのゲストさん、ぜひ一度リッターマシンに乗られたし、目から鱗ですよ。
 お気に入りのレザーバッグを振り分けた武ニイのV4はピットアウトしてきたばかりだ。人もマシンも古くなれば一病息災、日常の診察とメンテが長寿の秘訣でしょう。いつも片側パニアのGTRも今日は左右装着で後ろ姿は迫力満点。ウォーリアマシンには最新ナビが納まりよく装着してある。バイクナビ先駆者のウッチーもこれに熱い視線を投げかけている。
三芳PAで気になった一台。コンチマフラーとエクセルリムで決めている。
3気筒、シャフトドライブ
 思えばこのところのバイクの進化はすさまじい。チューブレスは当たり前、ABSは標準化しETCの装着も一般化してきた。パニアケースやキャタライザーの標準装備も増えてきた。キャブレターは過去のものとなり2ストローク車は冷たい視線すら浴びつつある。この先のさらなる進化が楽しみだ。

 「そういえばコマンドがまだ来んド。連絡がつかんで困ンド。」ってか。でも榛名湖で合流した。
 9名で関越を渋川に向けて進む。鼻を突く異臭が関越道であることを無理やり再認識させてくる。依然無線の状態に悩むアカトンボから
「ノイズ入ってる?」の送信がノイズと共に飛んでくる。榛名富士を右に後に見ながら快適に走るが下界に降りればそこは盛夏である。「霊山たけやま」での休憩は暑いあつい!!日影が欲しい。その後も順調に走り水上の「水紀行館」で再び休憩する。
 5台がここから帰路につくという。三連休最後の日ということで渋滞を懸念してのことだろう。言い出しっぺの武ニイはじめ、皆既日食も先駆者も帰る、スクーターも帰るし迫力満点ヒップも帰るという。なんだなんだぁ!本日の核心はここからだぜ。
 体力ビンビン?の5人は沼田街道をめざして緑の中を走る。車検が間近に迫ったヨッシーマシンも絶好調のようだ。カタコトコトカタとファームワークを思い起こさせるリズミカルなメカノイズは相変わらずだが、立ち上がり加速はメッポウ速い!
 昼食は片品村「“竹屋”の釜飯」。釜の底にはちゃんと?お焦げも用意してありとてもうまかった。食前のノンアルコール・ビールテイストの“のど越し”も空冷火鉢にまたがった体には十分満足のいくもので瞬時に体中に拡散した。
 食事もすみ、満腹から意識が遠のきそうになりながら走っていると隊列の真ん中にいつの間にか過去の遺物(前言取消し、名車です)であるカワサキ マッハVが併走しているではないか。タンクの“エグリ”がある。初期型だ。ライダーはな
ぜか往年のトライアル用ヘルメットを使用している。広いエンジン幅からの独特なライポジと華々しいメカノイズは現代マシンと対比すると一言で言えば“ちょっと変”である。3本マフラーから吐き出される煙量からは“赤オイル”は使用していないようだが、それでもその煙幕の中を走れば(らされれば)きれいな顔にオイルのソバカスが増えることとなる。
 道は空いている。気持ちいいがさらに眠い眠い眠いzzzzzz。後方から見ていると完全にいっちゃいそうな人もいるので急いで小休止、無理は禁物である。
 大沼では急に涼しくなって空が掻き曇り赤城山の頂を隠し始める。でも降られずに済み、懐かしい丸ポストが林立するコーナーなどを抜けながら再び下界に降りればやはり盛夏。
 思っていたよりズッと走りやすかった関越自動車道を順調に進む。ガードマンが地声の大声で怒鳴りまくり、失笑と仏頂面を大量生産している高坂SAで本日解散となった。
 帰宅後HPを確認すれば、先帰組の一台が途中でエンコしたようではないか。フジキング君その後の詳報を待つ。
 皆さん、暑い中お疲れ様でした。(了)熊谷