2009
10
11〜12
ツーリングレポート
コース 1日目 談合坂SA〜美ヶ原高原〜道の駅あおき〜道の駅おがわ〜雨飾荘
2日目 R148〜北陸自動車道〜上越〜豊田飯山IC〜野沢温泉〜奥志スーパー
     林道〜万座ハイウェイ〜上越自動車道 小諸IC〜関越自動車道 高坂SA
参加者
(敬称略)
武信(H.VF750) 羽田(BMW.R1150RT) 熊谷(BMW.R1150GS ADV)
田中(S.GSX-R1000) 吉浜(BMW.R1150R) ガンメタ(K.1400GTR)
伊東(S.TL1000R) 田口(BMW.R1150R RS)  
【ゲスト】フジキング(K.ZZR1200)
走行距離 963km(横浜起点)
晴晴晴晴晴晴晴晴晴晴晴晴晴晴晴晴晴晴晴晴晴晴晴晴晴晴晴晴晴晴晴晴晴晴晴晴晴晴晴晴晴晴晴
 民主党政権が発足してまもなくひと月、2年ぶりに本州を襲った台風18号も過ぎ去り、前夜直上の美しくもさやかなる天空を見上げながら翌日のワインディングに胸を躍らせる!なんてね。朝の通勤駅のホームを染める色も白からダーク色に置き換えられてくるこの季節は台風シーズンでもある。2004年の一泊ツーでは台風22号に追われるように走ったのが記憶によみがえる。
 今月の定例ツーリングは恒例の一泊だ。目的地は“小谷温泉 雨飾荘”。集合地の談合坂SAはバイクで溢れている。既にこの時間でも本線の混雑は相当のものだ。ツバサメンバーも次々と集結してくる。黒ボックスを堅固に取り付けた虎カラーバイク便が一台いる。これなら家出荷物一式の収納と後方の防弾は完璧であろう。 
 先月の定例で周囲がパッと明るくなったような真紅のドカは今日は居ない。概してバイク載りは暖色が少なくはないか。有資格者はどうぞ仕舞っておかないで赤いベストを着て来てくだされ。

 “中央道原PA”で旅人フジキングが合流する。アメリカンから乗り換えたZZRがすっかり板についた。もう観念してメンバーになりなさい。
 “諏訪IC”で降りて第一ワインディング、県道40号を上がる。降雪期を睨んでか途中道路工事が多く行われている。道路工事といえば先月の定例で、行けば工事による通行止めで転回を強いられ、その際メンバーの一人が転倒した。カチッと来て手前にあった工事表示を確認に行くがこれが実に難解。こんな表示ではダメなのだ。戻って罪の無いガードマンに言い置いたが、下手なわかりづらい表示をしておいてそれが遵守されているか見張っているなど悪趣味かつ愚の骨頂である。
 いつもはグライダーの急上昇を眺めながら休憩する“霧が峰”を通過してワインディングを快適に“美ヶ原高原美術館”まで進む。
 此処からもワインディングは続く。“道の駅あおき”で昼食。この後旅人は長野自動車道で帰宅(おそらく)する、気をつけて!さらにワインディグは続く。“道の駅おがわ”で一服、その後も容赦なくワインディングは続く、続く。
 ウォーリアより無線が飛ぶ。「宿まで残り70キロ、そのうち60キロはワインディング、イヒヒ」!これにガンメタが応じている。感涙にむせんでいることが手に取るようにわかる。ウヒヒ。
 このところナビの装着車が増えてきた。情報源は共通のはずだが機種と使い手の違いからか、ひとたびコトが起こるとまずは無線の被りっこ、そして○△☆★??????★・・、もう大変である。今のところウォーリアの生ナビに凱歌が上がっていそうだ。小生も早くナビクラブ?に参入したいものである。
 「雨飾荘」への詰めは昨年の「有明荘」へのような難路ではなく、日のある時刻に到着することができた。早速皆で“雨飾高原露天風呂”に行くがこれが芋洗い状態で一瞥してとっとと引き返してきた。そして夕食後、恒例のタバコ部屋での宴会、タケ兄が力説する「千鳥走行」については「ツーレポ2006年4月号」の後半に小生書いているのでよろしければ御一読あれ。今回もヨッシーの柿、カーペンツッチーの銀杏、買出しギンヤンマいつもありがとうございます。寝しなに山奥の空はと外に出てみた。あにはからんや外灯が建物と木々に反射して山々に囲まれた狭い夜空は明るく、出発前夜の横浜の星空には遠く及ばなかった。
 さて二日目、前日終盤の鬼無里からの荒れたワインディングをパスして、一旦日本海に抜け、上信越道を南進するルートに変更する。ギンヤンマ、武ニイのコンビは“春日山”を目指すため途中で別れる。今日の宿は有明山の麓だそうだ。

 “豊田飯山IC”で降りて一服後、アカトンボの頭痛の種である無線の検査のためマシンを取り替えて走行した。フロント17インチは10年ぶりだがその軽さと扱いやすさ、走行中の自由度は新鮮そのものだ。最近のツバサシーンを思うとドカティなどが気になってくる。この病に取り憑かれるとなかなか癒えない。結果無線は異常なし。アカトンボ、ヨカッタね。
 「野沢温泉頭冷やし側溝」を過ぎて紅葉に包まれた“奥志賀スーパー林道”を進む。紅葉は大いに結構なのだが威風堂々といく“紅葉マーク”には参りました。ラッシュ時の“東京駅北自由通路”を歩くオバさん軍団を彷彿させる。
要するに動きが全く予測できないのである。
「なれば君達は・・・・」と逆襲されると返す言葉に窮するかもしれないが、でも先輩、ちょっと道を譲ってくれるととてもうれしいのです。   
 それにしても錦秋の陽をうけた大八州は美しく、しばし時を忘れる。
 精神修行のような走行の後、先頭グループの待つ休憩ポイントに到着、プリプリしながら降車しホッとしようとした刹那、マシンがススッと前に進み背後から千代大海ばりに(たぶん)ドスッと全車重を掛けて寄り掛かってくるではないか。30リッタータンクは満タンでないとはいえ不意打
ちで重さは倍加である。倒したらどこが傷つくのだろうなどと考えながら必死で“得俵”で粘りいよいよ「こりゃいけません」と思ったときにウォーリアの救援で事なきを得た。原因はサイドスタンドのオイル切れ、これまでの″蹴り″ではスタンドが所定の位置まで出ていなかったためだ。
 ついでだがオフ車のサイドスタンドスイッチ、これはキャンセルしておいたほうが無難である。ガレ場の飛び石や転倒でこれが壊れて始動不能なんかになった日には目も当てられない。
 それでも後半はいくらか快調に走ることが出来た。前を行く黒ボックスは操縦者のその装備が性能を発揮して見事に背景に同化し、マシンだけが“起き上がりコボシ”のようにコーナーのたびにヒラヒラと左右に揺れていた。
 昨年の“乾式泣かせ道”はウォーリア戦略の勝利で比較的スムーズに走ることが出来た。それにしてもヨッシーマシンのエンジン音は今回の車検で驚くほど静かに(まともに)なった。ちょっとらしくなくなり寂しい感も否めないが、これまでの度重なる整備は何だったのかいな、えーダッ○さん。
 やっと駐車スペースを確保した昼食場所の“横手山”では“名立谷浜PA”で別れたタケ兄の無線を受信する。どうやら“妙高高原”にいるようだ。地図ではおよそ60km以上ある。随分と飛ぶものだ。先月のツーリングでは富士山五合目で「今のところカツオが五匹だけだよ。」と船舶から釣果を報告する無線を明瞭に受信したっけ。でもさぁ〜最近無線交信時の“山本山症候群”が多くない?マン、マシン、メソッドともに点検整備をよろしく。
 “万座ハイウェイ”を下り再び上信越道に乗る。しばらく走ると渋滞といういつもの薮漕ぎのような試練が待っておりこれが解散場所の高坂SAを過ぎても続いていた。これ今後どのような変化を見せていくのだろうか。何とかなりませんかね民主党さん。

 いや〜今回も走りましたね。
皆さんお疲れ様でした。(了)熊谷