空間のジャポニスム |
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第1章 「空間」の再定義 (2) |
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「空間」の脱構築 マネ、印象派、ポスト印象派などの画家たちが遠近法を捨て去ったのち、それは現在にいたるまで二度と、表現手段の中心的な位置を回復することがなかった。たしかに、本書でも触れるようにカイユボット、トゥールーズ=ロートレックらは、遠近法的な表現をあえて使った(〈透かし〉の章)。また、たとえば20世紀中頃にシュールレアリスムの画家ダリは、本来リアリズムの産物である遠近法を逆用し、めざましく効果的に使った。しかし結局のところ遠近法は、19世紀後半以後の絵画においては、空間表現の数多い選択肢のうちの一つであるに過ぎない。 しかしここで大きな問題となるのは、近代の、遠近法に拠らない空間について語る言葉が、およそ不足していることである。遠近法はあまりに強い体系だったので、画家たちがそれを捨てたのちにも、美術史家や理論家たちは、それから逃れることができなかった。つまり、遠近法をもはや使わなくなった画家たちの作品の空間についてまで、多くの絵画批評が、知らず知らずのうちに遠近法を基準にして語ってきたのである。 本書で何度か問題になる「視点」という言葉も、あきらかに遠近法の理論に由来している。たとえば、マネ、セザンヌ、ピカソなどの絵画空間の「ゆがみ」はしばしば、視点を移動しながらとらえた複数のイメージが集積した結果であると説明される。この「視点の移動」という特殊な用語は、20世紀初頭のキュビスム絵画に対する批評に発するのだが、西洋近代絵画だけでなく、現代絵画や日本の伝統絵画にまで、ときおりあてはめられる。 「視点」が遠近法のもっとも基本的な条件であったことをすでに述べたが、これは西洋の思考の中核にある主体/客体というとらえ方から発していると言える。反対に、西洋以外のほとんどの国においては、「視点」も、主体/客体も、きわめてあいまいにしか意識されなかった。 日本語でたとえば「視点が定まらない」と言うとき、どこを見るともつかない不安定な態度を言っているのであり、したがって「視点」は見る主体ではなく、見る対象を指している。この「視点」が、英語のポイント・オヴ・ヴューやそれにあたる西欧の言葉の訳語とされ、遠近法の観者の目の位置をも意味するようになったのは、20世紀になってからである(1)。 絵画の空間について考える際に、「視点」という言葉はかならずしも必要ではない。画家が視点を移動しながら描いたなどと言うかわりに、ほとんどの場合において単に、いくつかの画像が「合成」されている、と言えば済むにちがいない。 「視点」に限らず遠近法に関連する用語は、日本美術を考える際にたびたび援用されてきた。絵画のへりを「枠」としてとらえ、そこに「窓」の向こうのイメージが描かれているかのように説明するのは、あきらかに遠近法に由来する発想なのだが、そうした記述もときおり現れる。「逆遠近法」などというふしぎな言葉が使われることすらある。 遠近法は、画面という二次元平面に対して直交するもう一つの次元、つまり奥行への直線的・機械的な方向性をもつのだが、それはまさに大半の日本美術に欠けたものだった。一方、日本の美術では屏風であれ、工芸や服飾であれ、媒体の表面に則して造形がなされるのだが、西洋ではそのようなものを「平面的」、あるいは「装飾的」とみなす。西洋において、遠近法で十分に奥行を表現した絵画は、ふつう「装飾的」とは見なされない。「装飾」という言葉は、かならずしもきまって「遠近法」の対極に位置していたわけではないが、ときにそのような意味合いをもっていたことになる。しかし一方の日本人たちには、少なくとも江戸時代までは、自分たちの美術がおしなべて「平面的」「装飾的」であるなどとは、まったく思いもよらなかったのである。 要するに、遠近法を否定していった者たちの絵画も、遠近法をごく一部においてしか受容しなかった国の絵画も、依然として遠近法のパラダイムの中で評価される。あたかも遠近法が、時代や社会を超えて、普遍性を保証されているかのようである。 遠近法がヨーロッパのある時代に固有のものであり、けっして人類に普遍的なものではないことをはっきりと示したのは、パノフスキーの『象徴形式としての遠近法』(2)だった。彼はそこで、遠近法が、西洋近世の人間たちの世界観・思考形式に対応したものだったことを明らかにした。 パノフスキーはこの本で、遠近法によってつくられた画像が、人間の視覚とは微妙に食い違うことを強調する。それは主として、遠近法が平面への投影であるのに対して、人間の眼球が湾曲していることによる。 さらに、人間は向きと焦点を変えることのできる眼球を、しかも一つではなく二つもっており、その上それらが首に接続し、脚に接続し、身体とともに移動するのだから、実際の視覚体験と遠近法のイメージとの相違はけっして小さくないのである。 そもそも遠近法は、絵画は目に見える世界をそっくり描くべきである、とするリアリズムの産物なのだが、このリアリズム自体も、絵画にとって一つの選択肢でしかない。そしてまさに絵画は、写真の登場とともに、そのような機械的リアリズムを写真にゆだねて、自らは違う方向へ歩みだしたと言うことができるだろう。 遠近法が、このように万人にとって普遍的な絵画技法でないことは、こんにちでは常識化している。したがって、絵画を論じる中で「遠近法」という言葉を使う際には、私たちにはそれを注意深く客観化する意識が多少働く。だがいったん、絵画における「空間」という言い方をするとき、私たちは知らず知らずのうちに、遠近法のパラダイムに引き寄せられてしまう。 さてここで、「空間」という言葉の意味内容の大半もまた、西洋に由来することに注意しなくてはならない。たしかに「空間」は、漢語にもある。諸橋轍次の『大漢和辞典』によると、空間とは、「物の無い場所、すきま、天地の間」のことであったという。それに対して西洋の「空間」は、そのような物の不在や、物と物との間のことではなく、よりポジティブな存在なのである。古代ギリシアのユークリッドはすでに高さ・幅・奥行の三次元を規定していたが、17世紀のデカルトは宇宙を無限大の3次元座標空間としてとらえた。建築においては、宇宙そのものを表象する巨大な丸天井の空間が、古代ローマ時代以来連綿とつくられ続けている。そしてそのような蓄積の上に、絵画における遠近法空間がやって来た。たしかに「宇宙」のイメージは中国にもあり、それは日本にもはいって来ていたかもしれない。とはいえ、日本の絵画や建築には、西洋の「空間」のような圧倒的な存在感をもつものは生まれなかったように見える。 したがって、私たちが「空間」を語るとき、すでに西洋的思考の中に完全に巻き込まれていると言ってよい。そしてすくなくとも絵画やデザインで「空間」について言うとき、多くの場合それは遠近法空間を指している。ところが困ったことに、その際の「空間」は、「平面」と対立し、ときに「装飾」とも対立するのだが、この二分法はほとんどつねに、「空間」の優位を暗黙のうちに前提としているのである。「平面的」「装飾的」という言葉は、しばしば否定的なニュアンスを伴う。私たちは比喩的にも、平面的な思考ではなく立体的な思考を心がけるのであり、「何々の遠近法」という書物が、西洋的な知性と洞察を展開しているように聞こえる。 しかしそのような「空間」が、あらかじめ西洋の思考を前提としていて、しかもあらかじめ西洋的な価値の優位を前提としているのならば、この「空間」を脱構築してとらえ直す必要があるにちがいない。そのとき、西洋の空間とは別種の日本の空間が見えてくる。そしていったんそのことに気づくと、西洋近代の画家たちが、意外なことに日本の空間を直観的に理解しており、活用していたことにまで思い及ぶのである。 →続く 宮崎克己「『空間』の再定義」『空間のジャポニスム』第1章、 『アートの発見』碧空通信 2011/09/09 Copyright 2011 MIYAZAKI Katsumi 無断転載を固くお断りします。引用の際は上記書誌データを明記してください。 |
前節(遠近法からの解放) 空間のジャポニスム・扉 アートの発見・トップ (1)『日本国語大辞典』(第2版、小学館、2001年)の用例から判断するなら、観察・論述する主体の位置・立場を指すような用法は、20世紀になってようやく登場する。日本文学・美術にこの言葉を適用することへの批判については、大西広「物語と絵画の接点で――「視点」という悩ましきもの」『国文学 解釈と教材の研究』2000年7月(臨時増刊)がある。 (2) E・パノフスキー『象徴形式としての遠近法』(木田元・監訳、木田元・川戸れい子・上村清雄・訳)、哲学書房、2003年 |