空間のジャポニスム |
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第1章 「空間」の再定義 (4) |
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絵画の内と外 さて、そのような人と人、人と物などの関係から生じる相関空間を考えていくとき、絵の中の空間だけでなく、絵の外の空間、すなわち室内空間へも思考が及ぶことになる。絵画、あるいは画像も室内において物として存在するのであり、おのずと人と絵画、絵画と絵画の関係が本書の射程に入ってくるのである。 「仕切り」のひとつの典型として屏風があるのだが、それは絵画であると同時に室内で機能する家具でもある。「散らし」は、モチーフの偶然な拡散のことだが、それはしばしば作品の枠をはみ出して、室内全体に装飾として適用される。「取り合わせ」は画像の組み合わせのことだが、たとえば金碧の屏風に水墨の軸絵を掛けるというような展示法についてもあてはまる。日本絵画において、内と外とは、つねに密接につながっている。 日本の絵の中の空間は、それが置かれる「場」やその機能に応じて、柔軟に変容して造形される(5)。たとえば、西本願寺の謁見の間などのようなもっとも重要な空間には金碧の障屏画が置かれ、それによって閉鎖的な空間がつくられるのに対して、同じ西本願寺でも私的空間には水墨画が用いられ、穏やかな開放感がもたらされる。西洋において遠近法が、あらゆる「場」、あらゆる種類の絵画において一貫して使われたのと違い、日本ではたとえば、扇・団扇・錦絵でそれぞれ空間表現が微妙に変わり、まして屏風と絵巻ではそれが大きく変わる。 絵画の置かれる「場」について、私たちはもう少し注意を喚起する必要があるだろう。筆者は、『西洋絵画の到来』(6)で、西洋から来た油絵が日本で受容されるために、いかなる「場」が必要だったかを考えた。開国以後、日本人は西洋絵画を無条件に歓迎したのではなく、洋館・洋間といった接客のための「場」、すなわち日常と切り離された特別な空間に、どちらかと言うとこわごわと受け入れたのである。 さて、同様のことを、日本から西洋にわたった美術工芸品についても考えなくてはならない。それは誰が、いかなる場において、どのような目的で受け入れたのだろうか(これについては、とりわけ〈女性たちの空間〉および〈西洋近代の空間〉の各章で考える)。 ルネッサンス以後の西洋において絵画は多くの場合、その外の世界から切り離された「自律的」な世界と見なされた。遠近法はその制作プロセス(b-再掲)から考えても、絵画を見る者に対して真正面からそれに対峙すること、すなわち「鑑賞」を要請している。鑑賞という姿勢は、絵のこちら側をなかば忘れさせる。西洋では絵画の枠、あるいは額縁は窓枠のようなものであり、その窓の向こうにもう一つの真実の世界、小宇宙が出現するかのように思われたのである。 したがって、西洋絵画の研究において、その造形とそれが置かれる場との関係についての検討は、比較的最近までなおざりにされていたように思える。しかし実のところ、絵画がいかに自律的に見えても、それはふさわしい特定の場を必要としていたのである。遠近法を用いて描かれた西洋絵画であっても、つねに正面から鑑賞されたわけではない。宮殿を飾る数々の大画面の絵画を、儀式・宴会・舞踏会などの際に正対してまじまじと見る者がどれほどいただろうか。ルネッサンス以後の絵画もまたつねに、「鑑賞」と「装飾」の両面をもっていたと言える。 まして、19世紀後半の西洋では、あらゆる美術作品が装飾という磁極に引きつけられていった。この時期は、「装飾」という言葉がもっとも肯定的に受けとめられた時代である(7)。たしかに一方で、展覧会や美術館という鑑賞を前提にした公的空間も大きく成長したのだが、他方で、大多数の美術作品が、最終的にはもっと私的な空間、すなわち新興の市民たち(ブルジョワジー)の私室に、装飾として使われるために流れ込んでいった。印象派の絵も、9割以上がブルジョワの部屋を飾るために描かれたと言える。そして同じ彼らの空間の装飾のために、日本の美術工芸品が西洋に輸入されたのである。 したがって印象派たちの作品は、日本の美術作品と「場」を共有していたのであり、その意味で親和性をもっていた。それゆえ、彼らの作品の造形空間もまた、日本美術のそれに影響されやすかった。 そして、こうした相互作用の結果として、西洋近代の室内のデザイン、空間そのものへの意識すら、徐々に変わっていったと考えられる。つまり、空間のジャポニスムは、絵画の中だけでなく、絵画の外にも及んでいたかもしれないのである。この本では、絵画の内の問題が、たびたび外の問題と結びつけて語られることになるだろう。 本書のうち第1章から4章においては、絵画の外の空間、すなわち「室内」に重心を置いて論じられ、第5章から8章においては、逆に絵画の中の空間に重心が置かれる。そして最後の3章においてはふたたび重心が「室内」に戻るのだが、のみならず、日本の空間が時間性・行為性を内包したより動的なものとしてとらえ直され、それに関連して西洋近代の空間が再検討される。 第1章終 →第2章へ 宮崎克己「『空間』の再定義」『空間のジャポニスム』第1章、 『アートの発見』碧空通信 2011/09/23 Copyright 2011 MIYAZAKI Katsumi 無断転載を固くお断りします。引用の際は上記書誌データを明記してください。 |
前節(絶対空間と相関空間) 空間のジャポニスム・扉 アートの発見・トップ (5)日本・東洋美術におけるこの問題について、目についた近年の文献を挙げておく。太田昌子・大西廣「絵の居場所」『国宝と歴史の旅 (朝日百科・日本の国宝別冊)』1999年8月から隔月刊行/太田昌子「花鳥の居場所−西本願寺書院のイメージ・システムを中心に」『講座日本美術史(4)造形の場』東京大学出版会、2005年/朝賀浩「儀礼と屏風」『BIOMBO 屏風/日本の美』展、サントリー美術館、2007年。 (6)宮崎克己『西洋絵画の到来−日本人を魅了したモネ、ルノワール、セザンヌなど』日本経済新聞出版社、2007年 (b-再掲) デューラー『測定法教則』より「横たわる女性を素描する人」1525年、ドレスデン国立美術館 (7)天野知香『装飾/芸術 一九・二〇世紀フランスにおける「芸術」の位相』ブリュッケ、2001年。 |