空間のジャポニスム
 
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第3章

〃仕切り〃 (3)
   
 


吹抜屋台の論理

ここで、源氏物語に戻って、文学と絵画に表現された「仕切り」を眺めてみよう。《柏木、その一》
(f)において、主役の三人は画面の左に片寄せられている。左端にいて袖で涙を拭うのが光源氏の妻・女三の宮で、彼女は柏木とのあいだの不義の子を産み、その右にいる父・朱雀院と、その下方にいる源氏に対して、いま落飾入道の決意を打ち明けたところである。およそ遠近法とは異質な、まちがいなくわざと乱雑に配置された几帳などによって、この場面における各人の大きな動揺が表現されている。

原本である源氏物語のこの「柏木」の巻では、几帳という言葉が3回登場する。また、几帳という言葉そのものはないが、源氏が内側に「入り給ひぬ」と記されていて、明らかに几帳について語られているところが一か所ある。まず、源氏が産後の妻・女三の宮を訪れる場面では、彼は彼女を几帳の端から覗くだけだった。これは源氏のよそよそしさの表現である。朱雀院は娘の産後の衰弱を聞き、いても立ってもいられずに、出家の身であることを顧みず、ある夜、突然彼女を訪れる。そして娘の寝所の前の几帳を少し脇へ押しのけて話し始めるのだが、彼女は父に出家の意志を伝える。その場にいた源氏もまた、感情を抑えることができずに、やおら几帳の中にはいってくる。この《柏木、その一》が表しているのはまさにそのくだりである。これに続く場面では、女三の宮の不義の相手、柏木が、罪の意識から病に陥り、死の床に就いているところを、親友の夕霧が訪れるいきさつが語られるのだが、夕霧が寝所の几帳の裾を引き上げて顔を見合わせるところから、最期の切々たる会話が始まる。

この時代の天皇などもっとも高貴な人たちは、めったに人の視線を受けないよう、つねに御簾や几帳に隔てられていた。また貴族の女性たちも同様で、逆に、男が彼女たちの姿をわずかでも垣間見ることが、しばしば恋愛感情の突然の昂揚に直結した。この「柏木」の巻において「几帳」は、物語がある決定的な場面にさしかかり、重要な会話が交わされるときに、誰かがそれを取りのけたり、その内側にはいったりするのである。几帳などの仕切りは、この長大な心理劇のための幕とも舞台装置ともなっていると言える。

さて、このような平安時代の「仕切り」への意識が、絵画的にどのように表現されているかを考えるとき、吹抜屋台という独特の表現に思い当たる。吹抜屋台とは、建物の屋根と天井を取り払って、あたかも斜め上から俯瞰したかのように描く絵画手法のことである
(g)。《源氏物語絵巻》のような、人間たち、わけても男女の関係の物語を主題とする絵画にとって、この吹抜屋台はきわめて効果的であった。これによって骨組みだけにされた柱、鴨居、襖、板戸などは、それ自体、室内と室外、屋内と屋外の仕切りでもある。この斜め上からの構図によって、それらを含めてあらゆる仕切り、そしてそれが表現するあらゆる人間関係が、絵を見る者に強く意識化されるのである。

さて、ここまで「仕切り」という、多少とも物理的に人の動きや視線を遮るものについて述べてきたが、日本の社会では、ほとんど平坦で障壁とならないような敷居、あるいは「閾
(いき)」もまた、同様に社会的・霊的な結界としての意味をもっていた。たとえば上座・下座などの着座位置は、厳密に社会的関係を反映していた。そして日本絵画の俯瞰構図は、そうした位置関係や閾をも的確に表現することができたのである。

吹抜屋台は、11世紀の《聖徳太子絵伝》にすでに見られる
(7)。これは聖徳太子の数々の事跡の各場面を、広大な自然風景の中に散りばめたもので、その中にひとつだけ室内の場面があり、それを見せるために、屋根・天井をはずした吹抜屋台が採用されているのである。これが日本人の発明だったのか、中国などに先例があったのかは分からないが、いずれにせよこれは当初、そうした室内を描写する便宜的な発想から生まれたものと考えられる。

しかし、吹抜屋台という特異な造形表現が、《源氏物語絵巻》の時代、すなわち12世紀に定着したのち、19世紀の江戸末期まで連綿と受け継がれたのは、室内を描く簡便さゆえというより、むしろ人間関係の表現としての「仕切り」の効果ゆえだったのではないだろうか。室内の描写は、日本絵画に限らず、西洋・中国・インドいずれの絵画においても少なからず出現するのに、日本においてのみ、しかも長きにわたってそれは使われ続けたのである。

吹抜屋台は、建築の構造の一部を見せているにもかかわらず、私たちは《源氏物語絵巻》などを見て、この時代の建築の全体像を理解することがとうていできない。実のところ、日本の建築はきわめて単純なグリッド構造をもっていた。それは、数学的に理論化された遠近法空間にすら似てなくもない、一種の絶対空間と言えるものなのだが、この絵巻では、そのような空間システムは完全に無視され、人間たちの心理劇の生み出す相関的な空間システムのみが呈示されているのである。

源氏物語は伊勢物語とともに、日本の文学の中でひときわ多く絵画化され、図像が継承されてきたものである。日本において「恋愛」はけっして、普遍的な主題にならなかった。武士だって恋愛をしたはずなのに、それは文学として十分に定着することがなかった。恋愛は当然、ときとして難しい人間関係を引き起こす。そしてそれはまた、どのような人間をも、いったん「個人」に引き戻す。そのような物語の絵画図像が、江戸時代にいたるまで、男女の関係を描写する際の手本となった。江戸中期の鈴木春信
(h)も、末期の歌川国貞(i)も、俯瞰構図の中での「仕切り」をはさんだ人間たちの一瞬の心理的関係に興味をもち、彼らなりにそれを工夫し、再現していたのである。

このような「仕切り」のモチーフから派生して、「垣間見」
(かいまみ)のモチーフが出てくる。これもまた、源氏物語とその絵巻にすでに登場するものなのだが、すでに触れたように、日本の恋愛は、男が女を御簾の端や、籬(まがき)、築地の裂け目などから垣間見ることから始まることが多い。これはいわば「覗き見」なのだが、そこには後ろめたさはまったくなく、むしろ恋愛の発端のもっともロマンティックな段階と受けとめられていたのである(垣間見については〈透かし〉の章でまた考える)


→続く



宮崎克己「〃仕切り〃」『空間のジャポニスム』第3章、 碧空通信 2011/12/23
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(f)(再掲)《源氏物語絵巻 柏木その一》12世紀中頃:徳川美術館






























(g)《源氏物語絵巻 東屋 その二》12世紀中頃:徳川美術館


















(7) 秋山光和『平安時代世俗画の研究』吉川弘文館、1964年、186頁



















(h) 鈴木春信(無款)《伊勢物語 高安通い》18世紀末、シカゴ美術館


(i) 歌川国貞(三代豊国)《源氏香の図 帚木》19世紀中頃:国立国会図書館