空間のジャポニスム
 
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第4章

女性たちの空間 (1)
   
 
婦人の持ち物

マネ、ドガのように同時代の風俗を好んで描くような画家の場合、自身の男としての女に対する興味、あるいはさらに言えば欲望が、ときおり絵に表出する。たとえばマネの《闘牛士の扮装をしたヴィクトリーヌ嬢》(a-再掲)では、女が挑発しているのは雄牛ではなく人間の男であるようにも見える。彼の《オランピア》などでも、横たわる裸の女が見返しているこちらにいるのは、男以外にはありえない。マネ、ドガを含めこの時代の画家の多く、そして小説家の多くが、娼婦やクルティザーヌを描出している。クルティザーヌとは、複数の裕福な男の愛人になるような女のことで、マネも絵画化したゾラの小説『ナナ』の主人公がそうだったし(b-再掲)、ドガのバレリーナたちも
(c-再掲)、そのような境遇になるかもしれない者たちだった。たしかにドガの描くバレエは、女性が見ても美しいにちがいないが、男性的な興味がよりあからさまになった作品は、当然、女性を鑑賞者として想定していなかったのである。

19世紀のブルジョワ社会では、男性が女性に対して絶対的な優位に立っていた。18世紀の貴族社会において、女性に対してある程度まで許容されていた性の自由も、この時代になると、厳格なモラルのもとに抑えられるようになった。ブルジョワ的な「家庭の婦人」と、男たちの間を足しげく行き来する「街の娘」とは、明確に区別されていたのである。

印象派のグループには、メアリー・カサット、ベルト・モリゾという、有力かつ裕福な女流画家が参加していた。一種の職業団体でありながら女性を含んでいたことは、この集団の開放性・先進性を示している。アメリカ出身のカサットは、やがてドガと近しい仲になるとともに、彼の絵に何度かモデルとして登場し第3章n、また印象派の絵が早い時期にアメリカで売れることになるきっかけをつくった。一方モリゾは、マネの絵に頻繁に登場し、のちにマネの弟と結婚するのだが、その娘ジュリーは印象派たちの間で育ち、彼らについての生き生きとした回想を残している(1)

印象派のヴィジョンとは、それぞれの立場からの見え方をいわば一人称的に表現するものであり、マネ、ドガは、19世紀後半の男性の典型的なヴィジョンを絵画化し、一方、彼らと親交の深かったカサットとモリゾは、たとえば母親と幼子といったような題材を多く選び、当時の女性の典型的なヴィジョンを絵画化したのである。

しかしマネ、ドガの作品で、あきらかに女性の嗜好にあわせて描かれたものもあった。それはたとえば、彼らが親しい女性たちへの贈物として制作したようなものである。1870年代初めにマネは、モリゾを何回にもわたって絵のモデルにした。当時肖像画のためではなく、単なるモデルとなることにブルジョワの女性たちはしり込みするものだったのだが、モリゾは快く引き受けた。それに対する感謝の気持ちとして、マネは一枚の静物画(d)を彼女に贈ったのである。画中にはすみれの花、扇とともに、「ベルトさんへ」と書かれた手紙が、サインの代わりに描き込まれている。パリジャンらしい粋な贈物である。

ドガもまた、カサットとモリゾの二人へ扇面画を贈った。それぞれが自分の作品(e, g)の中に彼からもらったものを描き入れているが、それはドガとの友情を表明しているのである。ちなみにカサットに贈られたものは、前節でとりあげた扇面画(f-再掲)であった。

さて奇しくも、マネ、ドガの贈物としての絵画のいずれにも、扇が関係している。一方には扇が描かれており、他方は扇の形をしている。これらの絵画が女性たちの嗜好に合わせたものであるのと同様に、扇そのものもまた、19世紀フランスにおいて、きわめて女性的な物だったのである。

はるか古代から、扇が男にも女にも使われてきた日本人からすると、西洋の扇がもっぱら女にのみ使われるのは、不思議と言えば不思議である。1880年代にフランスで、「ご婦人の飾り物(オルヌマン)」というシリーズが出版されるのだが、その内容は、扇、日傘、手袋、マフであった(2)

「ジャポニスムの開始」の節で触れた団扇もまた、西洋では女性の持ち物だった。しかし団扇は、どちらかというと玩具に近いもので、その使用はほぼ室内に限られ、またすでに見たように室内装飾に積極的に使われたのである。団扇は、たとえばオペラ座に行く女性が携えていくようなものではなかったと言える。それに対して扇は、エレガントな小物だった。

そもそも折り畳み式のものとしての扇は、日本で発明された。発明の時期については諸説があるが、12世紀、すなわち平安時代にはすでに貴族のあいだで不可欠な携帯品となっていた。やがて日本から中国や朝鮮へ輸出されるようになり、15世紀には中国で表裏2枚の紙によるものに改良され、それが日本にも再導入された。16世紀には東洋の扇はヨーロッパに伝わり、17世紀にはそちらでもつくられるようになった。

ヨーロッパにおいて扇は、使われ始めたときすでに、女性の持ち物だったようである。これはとりわけ18世紀に、高貴な婦人が好んで手にするものとなり、フランスなどでロココ様式による優雅なものが数多くつくられた。

このように、扇はヨーロッパでもかなり製作されていたので、19世紀後半のフランスなどにおいて、つねに「日本」を連想させるものとは限らなかった。ただし、実際に手に取ったとき、竹と和紙、金箔や金泥の扇が日本のものであることに気づかぬ者はいなかったにちがいない。ともあれ扇は、1872年の1年間に日本から80万本も輸出されたのである。

この時代スペインで扇は、フランス以上に女性の必携品とみなされていた。したがって初期のマネの作品に、女性がたびたび扇を手にして登場するのは、日本趣味ではなくスペイン趣味なのである。ただしそのような中にも、日本の扇と見えなくもないものが存在する。ここでもやはり、スペイン趣味がジャポニスムに覆い被さっていたようである。

→続く



宮崎克己「女性たちの空間」『空間のジャポニスム』第4章、 碧空通信 2012/01/06
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(a-再掲) マネ《闘牛士の扮装をしたヴィクトリーヌ嬢》1862年、メトロポリタン美術館


(b-再掲) マネ《ナナ》1877年、ハンブルク、クンスト・ハレ


(c-再掲) ドガ《花形バレリーナ》1876-77年、オルセー美術館

(1)ジュリー・マネ『印象派の人びと ジュリー・マネの日記』中央公論社、1990年


(d) マネ《すみれの花束》1872年:個人蔵


(e) カサット《J夫人の肖像》1879-80年、個人蔵


(f-再掲) ドガ《踊り子たち》1879年、メトロポリタン美術館


(g) モリゾ《長椅子の姉妹》1869年、ワシントン・ナショナル・ギャラリー

(2) Octave Uzanne, Les ornements de la femme : l'eventail, l'ombrelle, le gant, le manchon, Paris, 1892.