細部に宿るもの(4)
 
アートの発見

 
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「奇妙」という名の絹織物
   
   
染織は、あらゆるジャンルの中で異文化のモチーフがもっともすみやかに、抵抗なく伝わっていき、在来のものと融合する領域ではないだろうか。現代においても、高級ブランド店のスカーフの棚などを見ると、エジプト風、ロココ風、インド風、中国風、日本風、現代風など、意匠のヴァラエティが実に豊かで、あたかもメトロポリタン美術館を極小化したかのようである。

19世紀後半の西洋に、日本を含む世界中から種々雑多なものが洪水のように流れ込んだ。この時期、欧米の大都市で何度となく開かれた万博は、そのもっとも集約的な入り口だった。染織をはじめとする西洋の工芸の分野では、それらの刺激を受けて、いたるところにハイブリッドな産物が出現した。この一種わいざつな雰囲気こそ、この時代の魅力といえる。しかしそうした満艦飾のにぎわいも、20世紀初頭以後のモダン・アートの純粋性・普遍性指向のなかで、急速に失われていった。それがふたたび戻って来るのが、1970年代以後、私たちの時代なのである。

ところで、万博の時代からさらに遡ると、18世紀末−19世紀初頭の新古典主義にいたるが、この時代には古代ギリシャ・ローマの古典に立ち戻ろうとする指向が強く、異国趣味は排された。しかしさらにそれ以前
(となると私の知識はいくぶん希薄になるのだが)、すなわち17世紀後半−18世紀前半には、中国からの陶磁器(チャイナ)、日本からの漆器(ジャパン)を含む異国のものが西洋に大量に輸入された時代があった。このように異国趣味は西洋において、歓迎と排斥の時代が交互にやって来たようである。

私は数年前、1700年前後につくられたビザール・シルク、すなわち「奇妙な絹織物」と名づけられた、おそるべき異国趣味の染織があることを知った
(1)。三十年ほどのあいだに、フランス(a)、イタリア(b)、イギリス(c)などヨーロッパ各地で、異様ともいえるデザインのものが競ってつくられたのである。あきらかに、西洋の古典主義から可能なかぎり逸脱してやろうとする意図がみえる。その個々のモチーフの由来を特定するのはかなり難しいが、インド、インドネシア、中国、そして日本などのものが融合しているのはまちがいない。ただし、参考にしたそれらは、西洋にはほとんど残っていない。


(c)ビザール・シルク(おそらくイギリスのスピッタルフィールズ製)1715-20年頃、ヴィクトリア・アルバート美術館

私は、ビザール・シルクに顕著な意匠のうち、次のものは日本に由来する可能性が高いと思う
(d)。第一に、傘や矢など器物のモチーフ、第二に、非対称性と断片性、第三に、模様のある地にそれと無関係な他の模様を重ねるやり方、などである。私の目にはこの時代、ここまでアナーキーな異文化受容があったことが、驚異的かつ魅惑的に見える。


(d)《山に桜円散し文様繍箔》(紗綾地・繍・箔) 江戸時代、岡山、林原美術館


宮崎克己「『奇妙』という名の絹織物〜細部に宿るもの(4)」『アートの発見』 碧空通信 2011/09/30
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(1) 主として次の文献による。William Justema, The Pleasures of Pattern, New York/ Amsterdam/ London, 1968; “Bizarre Silks”, The Dictionary of Art, ed. by Jane Turner, Grove, 1996.


(a)ビザール・シルク(フランス製)18世紀前半、アベック=シュティフトゥング=ベルン染織博物館


(b)ビザール・シルク(イタリア製)18世紀、リヨン織物博物館