細部に宿るもの(3) |
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セザンヌがイーゼルを立てた地点 |
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ラ・ロシュ=ギュイヨンを、たぶん私は通過したことがあると思う。折に触れて北フランス各地を訪ねていた留学時代、画家の誰かが風景画に描いていたような気がしつつ、確認もせず通過してしまった町は無数にある。 その後この町の名は、セザンヌとルノワールの関係を調べるうちに覚えた。ルノワールが1885年ここに、妻と生後3か月の息子を連れて夏を過ごすため家を借り、その家をセザンヌが妻子とともに訪れて一月滞在したのである。このふたりのあいだには、ほかの印象派仲間とのあいだには生じなかった家族ぐるみのつきあいがあった(1)。 しかし私は長らく、この町を地図のうえで確認するのを怠っていた。そして数年前、何ということもない、これがモネの3年間の住まいだったヴェトゥイユからセーヌ河を5キロほど下った河岸にあることを知った。モネの後半生の住まい、ジヴェルニーはさらに下流、直線距離で8キロほどのところにある。 ラ・ロシュ=ギュイヨンから上流方向を俯瞰した絵はがき(a)を見ると、右へ蛇行する河の先の方にわずかに隣町ヴェトゥイユが白く見える。このあたりの河岸は石灰岩の崖をなしていて、かなり最近まで多くの人がこの崖をうがった穴居に住んでいたらしい。モネは逆にヴェトゥイユ方向から見た風景を描いているが(b)、この白く輝く崖とも家ともつかないものは、その両方なのである。 (a)ラ・ロシュ=ギュイヨン、ガスニー街道と病院 (20世紀中頃の絵はがき) Coll: K.M. この町は中世においては軍事的要衝だったのであり、この絵はがきでは左上にそのころの城砦が見える。中央の平地には、18世紀の優美な城館がある。 (c)セザンヌ《ラ・ロシュ=ギュイヨンの曲がる道》1885年、マサチューセッツ州、スミス・カレッジ美術館 さて私には、モネと対照的なやり方で道を描いたセザンヌの《ラ・ロシュ=ギュイヨンの曲がる道》(c)が、以前から気になっていた。セザンヌは町のどこにイーゼルを立てたのだろうか、と思いつつ絵はがきを眺めると、どうやら左下から町にはいる街道ではないかと気づく(2)。さらにインターネットでほかの絵はがきを探すと、まさしくセザンヌが描いた地点を見つけることができた(d)。 それにしてもセザンヌは、この美しいパノラマを見やることもなく、下降しつつ左へ曲がる道だけに、全神経を集中させているのである。道を中心にすえつつ、複雑な空間をいかに絵画という平面に圧縮するか、それがこの絵の中心課題になっている。1885年は、彼にとって大きな転機だった。ルネッサンス以来の遠近法に対する決定的な離反が、セザンヌによって試みられていたのである。 宮崎克己「セザンヌがイーゼルを立てた地点~細部に宿るもの(3)」『アートの発見』 碧空通信 2011/09/23 Copyright 2011 MIYAZAKI Katsumi 無断転載を固くお断りします。引用の際は上記書誌データを明記してください。 |
細部に宿るもの・扉 前頁 次頁 アートの発見・トップ (1)セザンヌとルノワールについて筆者は、下記の文章を書いた。「ルノワールの造形~セザンヌとの関係において」『ルノワール~ 異端児から巨匠への道 1870-1892』(展覧会カタログ)ブリヂストン美術館など、2001年 →「ルノワールの造形」(文庫) (b)モネ、《ラ・ロシュ=ギュイヨンの道》1880年、国立西洋美術館 (d)ラ・ロシュ=ギュイヨン、ガスニー街道からの概観(1911年消印の絵はがき) Coll: K.M. (2)リーウォルドは1935年頃に現地確認をし、セザンヌの絵画と同じ視点に立った写真を撮影した。ただしそこには、周囲の景色は写っていない。John Rewald, The Paintings of Paul Cézanne, A Catalogue Raisonné, New York, 1996. No.539, p.366. |