細部に宿るもの(5) |
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西郷隆盛像は面白い! |
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逆賊の汚名を着せられていた西郷隆盛は、死後12年、明治22年(1889年)に名誉を回復された。これを機に銅像の建設運動がはじまり、それはやがて東京美術学校に委嘱され、校長・岡倉天心らの監修のもとに、人物の原型を江戸の仏師・彫物師の系譜を引く教授・高村光雲が、また犬を同僚の後藤貞行が制作した。当初、陸軍大将の正装姿の予定だったが、強固な反対にあい、郷里で犬を連れて兎狩りに出る姿になった(a)。 (a)高村光雲など《西郷隆盛像》1898年(設置) 上野公園 Wikipedia Commonsより転載 この像のプロポーションを見て「不格好」と思う人は、現在にいたるまで多い。三島由紀夫は、「こんな五等身[ママ]や、非ギリシア的肉体は、どう見ても美しく感じられなかつた」(1)と述べている。ちなみに写真に定規をあてて測ってみると、ほぼ6頭身くらいである。実際には西郷は6尺近い偉丈夫だったので、それでいて6頭身だったらゴリラみたいな巨大な頭だったことになる。私は、このプロポーションは写実なのではなく、何物にも動じない日本的な強者の表現なのだと思う。この揺るぎなき「強さ」の造形の源を探して日本美術のなかを遡行していくと、立ち姿の不動明王(b)にいたるのではないだろうか。ここに例示したのは絵画だが、この姿は彫刻にもおびただしく反復されている。左右の腕の形を逆にし、左手の羂索(けんさく)のかわりに右手に犬の綱を持たせると、よく似ている。 この像の魅力のひとつに、いかにも木彫に由来すると思われる、柔らかな襞(ひだ)の表現がある(a')。西洋でも日本でも彫刻の襞の表現は、これも現実の着物からやや離れて、彫刻固有の様式化をとげた。西洋彫刻の襞は、ミロのヴィーナスにおいてすでにそうだが、分厚い織物が深く折れ曲がった重厚なおもむきをなす。日本の彫刻の場合には、衣自体の薄さが強調され、柔らか、軽やかに造形される。西郷像の襞は、胸からいったん帯に集中したものが下へゆるやかに開放されていくあたり、なかなか流麗である。中年太りをここまで粋(いき)に見せるのか、と見入る次第である。 この単衣(ひとえ)のラフな姿を見て、威厳に欠けると思った人も多かった。しかし私はここにも、日本の美学があるように思う。つまりこれは、「野に下る」という言葉をそのまま表現しているにちがいない。竹林の七賢を引き合いに出すまでもなく、東洋において「野」にあることは、むしろ真に傑出した人間の自然な姿だった。私は、この彫刻が上野に設置されたのと同じ年に岡倉天心が、橋本雅邦、横山大観らを引き連れて下野したことを思い出す。 ブロンズ彫刻の技法も、モニュメント彫刻という発想も、西洋からやって来た。しかしそこにできあがったのは、いかにも日本的な美意識に裏打ちされた作品だった。私はこの文化的アマルガムを大変面白いと思う。 宮崎克己「西郷隆盛像は面白い! 細部に宿るもの(5)」『アートの発見』 碧空通信 2011/10/21 Copyright 2011 MIYAZAKI Katsumi 無断転載を固くお断りします。引用の際は上記書誌データを明記してください。 |
細部に宿るもの・扉 前頁 次頁 アートの発見・トップ (b)《不動明王像》曼殊院、平安時代後期 (1) 三島由紀夫「銅像との対話—西郷隆盛」『三島由紀夫全集(33)』新潮社、1976年 (初出、『産経新聞』1969年4月23日) (a') (a)の部分 Photo: K.M. 2011 |