細部に宿るもの(7)
 
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モネに額縁は不要か?
   
   
私がかつて勤めていたのは、東京都心のタイヤメーカーの本社と同じ建物にはいっている美術館だった。その社員の友人が運転する車に乗っていたら、彼は赤信号で止まるたびに横にいる車のタイヤがひどく気になるようだった。私がそれを言ってからかってやると、彼は、君たち学芸員も額縁ばかり見ているじゃないか、とやり返してきた。いやそのとおり、たしかに私には額縁が気になってしかたがない。

額縁に興味をもつようになったきっかけのひとつは、私が学芸員になって数年後に美術館を訪ねてきたシカゴ美術館の有名なキュレーターの言葉だった。近代美術の専門家として彼が、所蔵作品について何を言うかと期待しつつ館内を案内していたら、最初にぽつりと言ったのはモネの2点の絵
(a-1,b-1)についてで、これは画家本人が選んだ額縁にちがいない、この種の額縁は現代ではもうかなり珍しくなっている、とのことだった(a-2,b-2)。あとでさまざまな本をひっくり返してみると、たしかにモネ晩年のアトリエの写真には、これらと同じくらい幅の狭いシンプルな額縁がいくつも見られる(c)

(a-2)モネ《睡蓮》の額縁 (b-2)モネ《睡蓮の池》の額縁

この2点はモネ存命中の1920年代初頭に、それぞれ日本人コレクターがパリで買ったもので、現在のコレクションにも彼らからほぼ直接はいった。私はかつてかなり大規模なモネ展にたずさわったことがあるが、そのとき集められた作品で、とりわけ近年売買されたもののほとんどは、はなはだしく装飾的な額縁にはいっていた。それはもちろん、高く売るために入れ換えられたからで、そう考えるとその豪華さにはしらける思いを禁じえなかった。

私にはモネの展示について長らく、ある小さな本に掲載された一枚の写真が気になっていた
(d)。彼の絵が額縁なしで、四角く穴のあいたパネルの向こう側にはめられている写真である。最近ようやく、これが1958年のパリ、ジュ・ド・ポーム美術館の試みだったことを知った。当時の館長は、「モネの絵は空間から切り取られた断片なのであり、(中略)ここでは色彩のシークエンスとして配列して見せる」ねらいだったという(1)

モネの作品に関しては、これに類した試みはその後もときどきなされてきた。それはこの画家の絵がしばしば、「網膜に映じたイメージ」と評されることと無関係ではない。日本でも、直島の地中美術館では晩年の数点の大作をこれに近いやり方で展示している。
 ちなみに私自身は、モネの絵は映画館で見る映像とは違い、あくまでも、身体をもつ私たちに対峙しているモノとしての側面をもっているのだから、かつてのジュ・ド・ポーム美術館の展示は、一時的な試みとしては刺激的ではあっても、モネの本来の意図からかなりずれているのではないかと考えている。


宮崎克己「モネに額縁は不要か? 細部に宿るもの(7)」『アートの発見』 碧空通信 2012/02/03
Copyright 2012 MIYAZAKI Katsumi
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(a-1) モネ《睡蓮》1903年、石橋財団ブリヂストン美術館


(b-1) モネ《睡蓮の池》1908年、石橋財団ブリヂストン美術館


(c) (写真)モネのジヴェルニーのアトリエ、1908年


(d) (写真)パリ、ジュ・ド・ポーム美術館の展示、1958年、『ルーヴル美術館II』( 集英社、1965年)より転載

(1) Germain Bazin, archives, Musée du Louvre, Paris, folder U1, 1958 June 2, cited in “Exhibition: Monet, New York Modern Art Museum”, Burlington Magazine, December, 2009.