細部に宿るもの(9) |
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カキツバタとアイリス |
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ジャポニスムの真っ盛りだった19世紀末、日本美術の中のカキツバタ(杜若)は、桜、梅、菊にまさるとも劣らぬ強い影響を西洋美術に与えた。西洋にもアイリスというよく似た花があり、その愛好が日本のカキツバタの感化で息を吹き返した、と見ることができる。 カキツバタとアイリスはともにアヤメ科に属し、大きな植物図鑑を見てもなかなか区別がつかない。カキツバタはハナショウブと同じく湿地に育ち、アイリスはアヤメと同じく陸地に育つ、などと言ったところで、今度はハナショウブやアヤメとの違いが分からない。ちなみに百科事典によると19世紀以降、ハナショウブが急速な品種改良によって大輪のあでやかなものになったため、カキツバタの影が薄くなったらしい。 しかし、光琳の有名な屏風(根津美術館)を思い出すまでもなく、江戸時代までの絵画や蒔絵などに大量に現われるのは、ハナショウブではなくカキツバタだった。そしてそのほとんどが、伊勢物語の八橋の段を踏まえていると考えられる。日本人は一千年ものあいだカキツバタというと、この伊勢物語を連想したのである。 一方、西洋のアイリスにまつわる由来は一層古く、古代ギリシア神話に端を発する。「イリス」は神々の使者をつとめる有翼の女神であり、虹でもあった。のちにこの花は、白百合と同様に聖母マリアの象徴になった。 カキツバタを描いた版画や団扇は江戸末期にも厖大な数があったので、西洋の芸術家がどれを見て参考にしたのかつきとめようがない。しかしたとえば北斎の浮世絵(a)とオットー・エックマンの木版画(b)を比べると、後者が前者の類から刺激されたのは疑いない。ちなみにこうした板目木版も、さらには色彩版画も、西洋には伝統がなく、これを典型的なジャポニスムの例と見なすことができる。 (a) 葛飾北斎《杜若にきりぎりす》1833-34年頃、ミネアポリス美術館 ドイツのエックマンは、グラフィック・アートにおいて日本の要素を取り入れた代表的な作家で、たとえば彼がつくりだしたエックマン書体(c)にも、日本の肥痩のある筆遣いからの影響が見られる。アイリスの複雑な花弁の形や葉脈の細かい線は、グラフィックに、つまり線によって扱うのにふさわしい対象だったといえる。そして彼は、アイリスを題材にしたこうした試みを、本のデザインにも転用した (d)。彼が震源だったと推測されるアイリスを使った意匠は、たちまち全ヨーロッパで流行となり、同時代のほかの雑誌、『ユーゲント』『ステューディオ』などにもたびたび模倣者が現われた。 (d)(左) エックマン《アイリス》(「カプリッチオ」のボーダー装飾)、1895年、『パン』誌 (e)(右) 橋口五葉『漾虚集』(夏目漱石)扉、1906年 橋口五葉は明治39年(1906年)に、おそらく『ステューディオ』の愛読者だった夏目漱石から示唆され、漱石の短編集である『漾虚集』(ようきょしゅう)の扉に、ヨーロッパで流行していたアイリスのデザインを用いた(e)。 こうしてそれぞれ一千年を超える伝統をもつカキツバタとアイリスが、わずか十年余りのあいだに、たがいに相手を模倣して姿を変え、モダン・デザインへとつながっていったのである。 宮崎克己「カキツバタとアイリス 細部に宿るもの(9)」『アートの発見』 碧空通信 2012/02/17 Copyright 2012 MIYAZAKI Katsumi 無断転載を固くお断りします。引用の際は上記書誌データを明記してください。 |
細部に宿るもの・扉 前頁 次頁 アートの発見・トップ (b)オットー・エックマン《アイリス》(木版画)、1895年、『パン』誌挿絵 (c)オットー・エックマン、エックマン書体 |