細部に宿るもの(11) |
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ゴーギャンをめぐる小さな発見 |
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美術館の学芸員には、所蔵作品のなかに、説明がつきにくくそれゆえたえず気になる作品が存在するものである。かつての私にとって、ゴーギャンの《馬の頭部のある静物》(a)はそうした作品のひとつだった。そしていつも気にしている結果として、あるとき小さな発見をすることにもなるのである。 (a) ゴーギャン《馬の頭部のある静物》1886年、石橋財団ブリヂストン美術館 ここに描かれた馬の像は、古代ギリシアのパルテノン神殿に由来し、大英博物館が所蔵する《月神セレーネーの馬の頭部》の石膏複製である。壁には日本の団扇が5、6本掛かっている。私は、当時の西洋でよく見られるこの団扇の装飾法は、日本の屏風などの「扇面貼交」の応用と見る。同じく壁に掛けられた人形は、首、膝、足首などが可動式になった日本の三つ折(みつおれ)人形なのだろう。手前には、写真か版画のアルバムのようなものが開いたまま置かれている。しかしそれにしてもなぜ、作者はこのようなものを組み合わせて描いたのか、それともそれらが偶然そこにあったに過ぎなかったのだろうか。 ある研究者は、古代ギリシアと日本のモチーフを並列させるこの絵の発想は、1885年のホイッスラーの有名な「10時の講演」から示唆を得たと考える。しかし、色鮮やかな団扇はともかく、人形によって日本美術を代表させたというのはやや考えにくいし、アルバムも説明がつかない。 この絵はゴーギャンとしてはきわめて珍しく、スーラ、シニャックら新印象派の点描技法で描かれている。明瞭なゴーギャンらしさがないので、画中に署名があるにもかかわらず、以前には、彼の作品として疑念をいだく研究者が何人かいたくらいである。当時ゴーギャンに、このようなものを描く環境があったのだろうか。 さて、20年ほども前のことだが、美術館を訪ねてきたフランスの小さな画廊主が置いて行った小展覧会のカタログ(1)をちらちら眺めていて、私はある図版に思わず息をのんだ。それはゴーギャンの親友で、パリではしばしば起居を共にしていたシュフネッケルによる絵で、あの作品とモチーフ、技法ともに酷似するものだった(b)。 これは小さな発見にすぎず、ゴーギャンの絵の謎がこれによってすべて解明されたわけではけっしてないのだが、それでもその時まで、あたかも繋留されずに暗闇をさまよう気球のごとくだったこの絵が、ある年、ある場所、ある環境に関連づけられたのである。シュフネッケルのこの絵には署名とともに1886年の年記があり、描かれた花から、時期は春と推定される。彼はすでに前年から、新印象派の技法を取り入れており、ゴーギャンはおそらく彼からも刺激されたのだろう。ゴーギャンのこの絵も同じ頃、すなわちこの年の5月に開催され、スーラ、シニャックがほとんど主役として活躍した第8回印象派展の前後に、パリで描かれたにちがいない(2)。 私の脳裏にようやく、これらのモチーフを前に黙考しているゴーギャンの姿が、浮かぶようになった。 宮崎克己「ゴーギャンをめぐる小さな発見 細部に宿るもの(11)」『アートの発見』 碧空通信 2012/03/16 Copyright 2012 MIYAZAKI Katsumi 無断転載を固くお断りします。引用の際は上記書誌データを明記してください。 |
細部に宿るもの・扉 前頁 次頁 アートの発見・トップ (b) シュフネッケル《花と団扇》1886年、個人蔵 (1) Tableaux XIXe et XX e Siècles, 20 Oct. 1989-28 Fev.1990, Galerie Armonie, Lorient. (2) この作品への疑念は、近年の次の二つの文献によって全面的に否定された。Daniel Wildenstein, Gauguin, a savage in the making, catalogue raisonné of the paintings, 1873-1888, Milan 2002; Richard R. Brettell and Anne-Birgitte Fonsmark, Gauguin and Impressionism, Yale University Press, 2005. |