DC色々体験記 2003年6月
6月某日 1年ぶりにGreat
Fallsへの同僚グループとのピクニック。今年の滝は前日までの雨で水量が大幅に増加し、水も濁っていた。picnicはやや風があったものの穏やかな日差しで快適。持ち寄
ったサンドイッチなどを食べ、しゃべって、キャッチボール、フリスビー、軽く散策、と「アメリカの休日」だ!と、1年前と全く同じ感想を抱き、1年前の記憶(2002年6月の日記参照)が蘇ってきた。同時に、来年のこのピクニックの頃には自分はもう日本にいる、とも。写真は同じ角度からの1年前との比較。
6月某日
夜Clarendon Grill(DCの月曜のSalsa
Spot)へ。ちょっと前にへったくそだった、めがねのアフリカ系青年が、練習を重ねてトリッキーなムーブメントをモノにしている様を見て、「上手いねえ」と褒めたら「練習したのさ」と言っての目の前で見せつけるように踊り始めた。まだまだ動きに無駄が多いものの、見せつけられると若干悔しい。自分も精進を重ねなければ。
6月4日(水)
母、叔母がDCへ到着。何故かこの日の入国審査は厳しかったようで、着陸から出てくるまで1時間もかかったが無事通関。叔母が英語が少し出来ることをいいことに午後は仕事へ行き、2人をほったらかし。でも家の周囲を歩き回って、家・建物の作り、スーパーや郵便局、花屋などの何気ない「アメリカと日本の違い」を堪能した様子。
6月某日
夜から雷雨、というより「サンダーストーム」という表現がピタリと当てはまる激しい雨、雷が「まぶしい」と感じたのは初めて。日本のとは種類が違う?と思うくらいの絵に描いたような稲妻。アレキサンドリアからDCまでの30分のドライブは怖かった。
6月某日
母、叔母に人気のアメリカのおみやげは、絵はがきでも、メープルシロップでもなく、ちょっとした絵柄のついたカラフルなスポンジ(食器洗い用)と風呂用の体を洗うスポンジ。前者はカラフルで可愛い絵柄、後者はデザインと使いやすさが日本にないものらしいが、近所へのおみやげにと大量に買っていく気持ちはどうしても理解できない。そんなにいいものなのだろうか。
6月某日
雨ばかりだった5月も終わり、最近も夕立というには激しすぎるサンダーストームに見舞われつつも、日差しは日増しに強くなってきて、アメリカで2回目の、そして最後の夏だと思いつつ、昨年は何をしていたのかと思い返す。
夜中2時に眠れずに起きた叔母より、自分が英語で寝言を言っていたと言われる。それを聞いて、自分もそういうレベルになったか、、、という気持ちではなく、眠っていても英語をしゃべらなければ行けないと言う夢を見て、全然ストレスが取れないであろう自分に同情した。
6月14日(土)
母、叔母は12時20分発のANA便で無事帰国。朝起きるとご飯が用意されているという生活もこれで終わり。母・叔母は食事に関しては日本食が一番だったようで、DCを歩き回るときもおにぎり・お茶を用意して、サンドイッチなどを食べているアメリカ人を尻目に、モールの芝生の上でおにぎりを頬張っていたとのこと。面白い。今回はボストン以外は放任であったが、母・叔母は自分の足で歩き回って「アメリカ東海岸」を満喫していた様子。良かった良かった。今日も夕方5時前から1時間ほど激しい夕立。
6月某日
DCで初の日曜のスポットmaxim(普段はロシア料理店)へ。場所は17stとFst。早い話が、アメリカの官庁街の真ん中、ホワイトハウスの真西150m位のところ。日本で言えば霞ヶ関のレストランが日曜にサルサをやっている感じ。この日は日曜とあって、ブッシュ大統領も数名のSPを従えて来ている、、、はずはない。代わりではないが、ウクライナのテレビ局が取材に来ていた。
某ディナーイベントで、ルイジアナ州選出のランドリュー上院議員との握手に成功。スピーチでは貧乏自慢をしていたが、握手したその手はとても柔らかく苦労してきた40代女性の手とは到底思えない。なんとなく貧乏自慢のスピーチが嘘っぽく聞こえるのはこのためか。でも握手できるとは近寄ってみて良かった。ラッキー。上院議員ともなれば当然だが、彼女の政治家ぶりはなかなか堂に入っている。
6月某日
夕方から夜にかけてまたサンダーストーム。気温は上がってきているので、梅雨、というよりも熱帯の雨季といった趣。
6月某日 オンラインで夏休みの航空券を予約。
7月28日(月)iad(ダレス)→sju(サンファン、プエルトリコ)
8月3日(日)sju→lim(ペルーのリマ)(マイアミ経由)
8月9日(土)lim→iad(ダラス経由)
Expedia.comよりも、アメリカン航空のオンラインで直接予約する方が安かった。とはいえ1142ドルなり。これでマチュピチュ遺跡を見に行ける。また、7月4日(金)が独立記念日で休み。3連休なのでDCを離れ、NYに行くことにする。ダンスシアターのチケットを予約。そこで、DCでの花火を見られないことに気づいた。まあ、いいか。
6月某日
アフリカ某国の大使館の若手外交官と昼飯。自分「夜は何してんの?」、彼「テレビを見て一人で夕食をとって、寝るだけ。一人には慣れているから寂しいとは思わない。」。それほど大きくない公館であること、DCがそれほどなじみにくい街?であることを考えれば、そういう風にもなるのかも。振り返ってみれば自分も余り変わらない。
6月某日
某パーティーであった、ロビー会社の女性。今のお仕事は?と聞くと「ロビイストです。教育関係のプロジェクトを歳出法案に盛り込むために働いているわ」と堂々と。そうか、ロビイストってこちらでは全く後ろめたい職業ではないんだなあ、と改めて感じる。日本だと、「ロビイスト」の活動を表す言葉として、「暗躍」とか「蠢(うごめ)く」などを当てがちであるが、そんな「後ろめたい」様子は微塵も感じられない。
6月終わり