吉田さらさってこんな人

大学卒業まで

岐阜県生まれ、岐阜県立岐阜高校卒業
早稲田大学第一文学部美術史学科にて、東洋と西洋の美術史を学ぶ

早稲田の美術史学科は、奈良の仏像研究でも名高い歌人の会津八一先生が主任教授を務められた 芸術学専攻科が前身となっているため、 わたしも、会津先生ゆかりの「日吉館」(今はなき伝説の宿)に泊り込んで 奈良の寺を歩き、仏像を愛でるというアカデミックな学生時代を送った。
(ということになっているが、実際には、ディスコに行く時間の方が長かったように記憶している)

編集者時代その1
大学卒業と同時に、鰹W英社入社
中学生のころから憧れてやまなかった「ノンノ」の編集部に 配属され、あまりの強運ぶりに、自分でも驚いた。以降、華々しくも多忙な10年間を過ごす。 ちなみに、当時のノンノは、京都特集にも定評があったが、 わたしはずぅっとファッション担当だったため、京都に出張に行ったのは数えるほど。

しかし、たまたま、とある超人気タレントさんとご一緒に着物の撮影で京都に行き、 ロケを行った鹿王院がすっかり気に入ったのであった。 「ここは泊まれる寺なのだ」と知り、後日、一人で泊まりに行った。 これがわたしの宿坊デビューだったが、朝寝坊して座禅はできず。
まさか、そのうん十年後に、NHK教育テレビの 宿坊めぐりの番組に講師として出演することになろうとは、 想像だにしなかった若き日のわたしである。

編集者時代その2
激務(というほどではなかったかも知れないが、おそらくわたしは普通より体が弱いらしい)がたたって、 体を壊し、やむなく退社。 しばしの休業後、当時、何かと話題だった「たまごクラブ」の編集部に再就職する。 子育て経験もないのに、いきなり編集長に就任し、四苦八苦するも、 未知の世界がだんだんと楽しくなり、熱心に働いた。 その結果、再び体を壊し、再度休業生活に入る。

テラタビストへの道
その間、学生時代にしていた奈良めぐりを再開し、 「お寺や仏像って、こんなに面白かったんだ!」と再認識。 旅費を節約するために宿坊に泊まることを思いつき、 「この人、一人で何しに来たの?」と怪しまれながら、 数年間、各地の寺を泊まり歩いた。

とりわけ京都のほとんどの宿坊を制覇したため、「本でも書けないかな」と思い立ち、 ひょんなことから、すぐに実現。強運ぶりに再度驚く。 2005年「お寺に泊まる 京都散歩」という本で、出版業界に再デビュー後、 奈良や京都の仏像、東京の寺めぐりなど、数々の本を書きまくる。昔から、文章を書くのだけは早いのである。

ちなみに、テラタビスト(寺旅研究家)という肩書きは、二冊目の本を書くときに思いついたもので、 あれから数年たった今でも、わたしが「日本で唯一のテラタビスト」である。

その後、単行本だけでなく、雑誌、新聞記事などの仕事も着々と増え、 旅行会社から、「ツアーの企画をしませんか?」という依頼や さまざまな団体から、「講演をしてください」という依頼が来るようになった。 テレビやラジオの出演依頼さえ来るようになり、 ますますもって、強運ぶりを実感! 趣味をそのまま仕事にできるなんて、これぞ、神仏のご利益に違いない。

ジンジャーにもなった
テラタビストとしてデビューした当時のわたしは、神社にはいまひとつ関心がなかった。 なぜなら、神社には仏像がないからである。
しかしその後、旅の途中で数々の神社にも立ち寄り、寺とは違う魅力があることに気がついた。 寺は目に見える仏様を祀る場所だが、神社では、目に見えない神様を祀っている。 この神様ってやつが、知れば知るほど一筋縄ではいかない方々で、たいへん興味深い。 最近では、テラタビスト&ジンジャーと名乗り、 神社と神様の奥深い魅力を知っていただく活動も、積極的に行っている。